こんな人におすすめ
フランス革命を学んでいますが、
難しくてよくわかりません。
丁寧にわかりやすく説明してください。
とお考えの学生の方、受験生の方、世界史を学びなおしている社会人の方
フランス革命中の出来事を細かく区切り、
ひとつひとつのできごとについて詳しくわかりやすく説明していこうと思います。
主に総裁政府について詳しく説明します。
1795年 総裁政府の成立
1796年 バブーフの陰謀
★ナポレオンの台頭
1796年 イタリア遠征 VSオーストリア どゆこと?
1797年 カンポフォルミオの和約と第1回対仏大同盟の解散
1798年 エジプト遠征 VSイギリス軍 なんでエジプトでイギリスと交戦したの?
1799年 第2回対仏大同盟の結成
1799年 ブリュメール18日のクーデタ ~ナポレオン 政権獲得~
総裁政府の成立から崩壊まで
総裁政府の成立 政権の仕組みと「欠陥」
1795年 「1795年憲法」が制定されます。
新憲法によって、政治の意思決定の仕組みが一新されました。
あらたに総裁政府が設立され、議員は制限選挙で選ばれました。
政治的教養のない一般庶民に政治を任せると、
ジャコバン派のようなえげつない政権が支持される可能性がありましたから
今回は良識のある人々のみで選挙を行いました。
最終的に政権をとったのはジロンド派です。
立法議会以来なりをひそめていましたが、ここで復活しました。
・議員は制限選挙で決定
・政権の中枢となったのはジロンド派(ブルジョワジーが支持)
・二院制と5人の総裁による合議制をとる
(ロベスピエールのような独裁を防ぐため)
・意思決定がとにかく遅い
まず、5人の総裁が全員賛成しないと前に進まない
そして、それを二院制の議会で議論して、両院で可決されなければ前に進まない
「そんなにみんなの意見合います?」
「ほんとに政治が前に進みます?」
って感じで、のちにナポレオンから批判されて、粉砕されます(笑)
バブーフの陰謀
1796年 バブーフという人物が総裁政府の転覆を企てます
彼が唱えたのは、「平等社会をめざそう」という考え方でした
そのために、「私有財産制の撤廃」と「ブルジョワジーによる政府の転覆」を唱えました。
「私有財産制の撤廃」 めちゃくちゃ単純に説明すると…
①すべての財産や土地を個人から没収し、国のものとする
②国が全国民に、「均等に」財産を分け与える
という形をとると、みんな平等な社会がつくれます。
のちのマルクスが唱える「共産主義」に影響を与えました
もともと財産をたくさん持ってる人はどうなるんですか?
もちろん猛反対します。自分の財産を国から奪われるのはイヤですからね。
つまり、裕福なブルジョワジーは
バブーフの考えに反対するってわけですか!
ご名答。
総裁政府は富裕な市民(ブルジョワジー)からの選挙で議員が選ばれるため
政権もブルジョワジー寄りです
バブーフはブルジョワジーたちが築いた総裁政府を
「平等社会を邪魔する悪魔」ととらえ、政権の転覆を図りました
しかしこの動きは総裁政府に察知されていて、バブーフは潜伏先を突き止められて逮捕
政権転覆計画は失敗に終わりました。
このできごとを「バブーフの陰謀」と言います。
ナポレオンの台頭
ナポレオンとは?
コルシカ島出身の中小貴族(めっちゃ権威のある家柄ではない)
妻は7歳上のジョセフィーヌ
ナポレオンは甘えん坊で、
戦争からの帰還後にすぐさまジョセフィーヌに膝枕をしてもらうのでした。
余談ですが、彼の生い立ちについて述べます。
急いでいる人は飛ばしてください。
学生時代は軍の指揮官をめざして、士官学校に通っていました
得意科目は数学と歴史学
この得意科目があったからこそ
ナポレオンは良き軍人・良きリーダーとして君臨することができました
(最後は野望に溺れて失敗しますが)
★数学は「大砲の照準合わせ」に重要
大砲を標的に当てるためには、
標的までの距離・大砲の最適な角度・風の強さ
などを計算して撃つ必要があります。
ナポレオンはその計算速度が抜群に速く、そして正確でした。
さっそく砲兵として頭角を現し、トゥーロン港攻囲戦での勝利で名を上げました。
★歴史の知識は「カリスマ性を得るため」に重要
ナポレオンは古代の権力者の歴史を学び、
人を惹きつける振る舞い・言葉使いなどの技術を徹底的に学びました。
その結果、ナポレオンは最終的に政治家としてのカリスマ性を手に入れていきました。
イタリア遠征 標的はオーストリア なぜ?
司令官として名を上げていたナポレオンは、
対仏大同盟との戦闘に駆り出されました。
第1回対仏大同盟との戦闘は、1793年以来ずっと続いています。
フランス軍は同盟国の一角であるオーストリアを倒すため、
イタリア遠征を実行しました。
敵はオーストリアなのに、
イタリアに軍を進めたのはなぜですか?
フランス軍はオーストリアの首都ウィーンを
南北から挟み撃ちにする作戦に出ました
※白地図の出展 https://www.freemap.jp/
ナポレオンはそのうち、南軍の指揮を任されます
南軍の使命は、イタリアを通ってオーストリア首都ウィーンに攻め込むこと。
オーストリア軍は途中経路の北イタリアでナポレオン軍に応戦したため
イタリアを戦場にして、フランス軍とオーストリア軍が戦いました。
そのため、オーストリア遠征とは言わずに「イタリア遠征」と言います
結果はナポレオン軍の圧勝でした。
カンポフォルミオの和約と第1回対仏大同盟の解散
イタリア遠征ではフランス軍が圧勝しました。
ナポレオンの軍はイタリアを突き抜け、オーストリア首都ウィーンに迫ります
「このままでは首都を落とされてしまう…」
焦ったオーストリアはフランスに降伏
フランスとオーストリアの間では、講和条約としてカンポフォルミオの和約が結ばれました。
・オーストリアはフランスに降伏し、フランス革命を妨害しないこと
・オーストリアは対仏大同盟から離脱すること
約束どおりにオーストリアは対仏大同盟から離脱しました。
そして第1回対仏大同盟は崩壊しました。
オーストリアが抜けただけで、対仏大同盟は崩壊するんですか?
対仏大同盟がフランス革命政府と戦う大義名分がなくなります。
国際社会では、戦争をする際に「他国と戦う正当性」が問われます。
ちなみにオーストリアにはフランス革命政府を攻撃する正当性がありました。
オーストリアのハプスブルク家はルイ16世に嫁いだマリ=アントワネットの生家です。
フランス革命政府によって、マリ=アントワネットが殺されました。
そのかたき討ちとして、
オーストリアのハプスブルク家には、フランス政府と戦う理由があるのです。
それをお手伝いしようってことで、イギリスなどの他の国がサポートしているわけです。
でも、被害者のオーストリアが抜けてしまっては、もう戦う理由がありません。
対仏大同盟はこうして崩れ去っていきました。
なるほど!
エジプト遠征
フランス軍は1798年から長期間にわたり、エジプト遠征をおこないました。
目的は対仏大同盟を主導していたイギリスへの報復です
元はというと、イギリスのピット首相が言い出しっぺでしたからね。
そんなイギリスの経済に打撃を与えることがエジプト遠征の目的です。
エジプトはイギリスにとって
どんなポジションなんですか?
※白地図の出展 https://www.freemap.jp/
当時のイギリスは産業革命の時期で、国内で綿織物を大量生産していました。
それを輸出して、イギリス経済が潤っていました。
でも原材料の綿花は高温多雨な地域でしか栽培できず、
インド・エジプト・カリブ海の西インド諸島からの輸入に頼っていました。
中でも当時のイギリスは、インド産綿花の輸入がメインでした。
インドから綿花を最短ルートで輸入するためには、エジプトを通ります。
インドからエジプトに綿花を運び、陸路でエジプトの地中海側の海岸まで運びます。
そして地中海を通って、船でイギリスまで運ぶ という輸送ルートをとっていました。
※当時はスエズ運河がまだ開通していません。
そうすると、アフリカ大陸をグルッと回らずに済み、
インドからイギリスまで最短ルートで綿花を運べます
さて、そんなエジプトをフランスが占領すればどうなりますか?
イギリスは綿花を輸入できなくなります!
もちろん綿織物工場もストップしますね!
そういうことです。
イギリス経済を崩壊させれば、
フランスとの戦いにお金をかけられなくなります。
フランス軍の狙いはそこでした。
もちろんイギリスは困りますから、本気で抵抗します。
そしてイギリス軍の凄腕海軍提督 ネルソンを派遣しました。
ネルソンはアブギール湾の戦いで捨て身の特攻に成功
フランス海軍は大敗し、イギリス軍が優勢に進みました。
ナポレオンは必至で応戦しましたが、
ナポレオンがエジプトで戦っている途中に…
フランス本国を激震させる事件が発生しました。
第2回対仏大同盟の結成
イギリス首相ピットが、ヨーロッパ諸国に第2回対仏大同盟の結成を呼びかけたのです。
なぜこのタイミングなんですか?
フランス本国が手薄だからです。
ピットはこれを、フランス革命政府を打倒するチャンスととらえました。
確かに、天才司令官ナポレオンはエジプトにくぎづけ状態
フランス本国を落とすなら今がチャンスですね!
対仏大同盟の軍は一挙してフランスに押し寄せ、首都パリをめざしていきました。
フランス本国の総裁政府はあわてふためきました。
ブリュメール18日のクーデタ
総裁政府で会議が開かれます。
「敵が攻めてきた。さすがに和平交渉に入るか?」
「それとも全国民を挙げて戦うか?」
しかしここで総裁政府の悪い部分がはたらきます。
覚えていますか?
意思決定が壊滅的に遅い(笑)
総裁政府で意思決定をするには、
5人の総裁による賛成と、二院制議会の両院での賛成が必要です。
この緊急事態に対してすべての政治家の意見がまとまるはずはなく、意思決定が遅れました。
その間にも対仏大同盟の軍は容赦なく迫ってきます。(ピンチ!)
窮地に立つフランス
エジプトにいて何もできないナポレオンは、
もどかしい気持ちでこう言います
「フランスに帰るぞ」
ナポレオンはエジプトでの作戦を放棄し、フランス本国に戻りました。
帰国後、ナポレオンは総裁政府のメンバーを一喝します。
「貴様らが何も決められないのであれば、私が全責任をもってフランスを守る!」
ナポレオンは頼りない総裁政府にクーデタを起こし、政権を自分の手におさめようとしました。
ナポレオンの強い言葉に、周囲の政治家たちは感激しました。
「フランスを守るには、この男に頼るしかない」
結果的にナポレオンのクーデタは成功し、総裁政府からナポレオンに実権がうつりました。
ナポレオンのこの一世一代のクーデタを、
「ブリュメール18日のクーデタ」と言います。
結果として総裁政府は崩壊し、ナポレオンによって統領政府が新設されました。
名前が似ているのでお間違いなく。
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