イラン・イラク戦争の原因・経緯・結果 世界史教師がわかりやすく解説

管理人
てっちり

元 高校世界史教師

教室での授業では、限られた人数に対してしか歴史を伝えられないことに物足りなさを覚える。
そしてもっと多くの人に歴史の面白さを伝えるために
教師を辞めてネットで世界史関連のコンテンツを配信するようになった。

てっちりをフォローする

こんな人におすすめ

中東の歴史について学んでいます

イラン=イラク戦争について

背景や流れなどをわかりやすく解説してくれると助かります

とお悩みの学生・社会人の方

 

この記事からわかること

イラン=イラク戦争とは?(ポイントを簡潔に)

イラン=イラク戦争の背景

イラン=イラク戦争の経緯と結末

 

この記事では

以上の2点について解説します

 

読者の皆さんへのメッセージ

こんにちは。

元々高校の教員をしていました。てっちりです。

 

このサイトでは、

世界史を学ぶうえでの

「わからない。」「なぜ?」に

お答えできるよう、情報を掲載しています。

 

特に近現代史になると、学ぶ概念も難しくなってくるので

生徒からの質問もわんさか飛んできました(笑)

 

そんな、学んで苦戦してきた教え子たちの苦悩と

ひとつひとつの質問に丁寧に答えてきた私の苦悩を無駄にしたくなかったので、

今回は記事としてしたためました!

 

イラン=イラク戦争とは?(簡潔に)

イラン=イラク戦争とは、

1980年から1988年 イランとイラクの間で起こった戦争です

イラン革命の影響を危険視し、

イラクがイランに侵攻したことから始まりました

 

イラク軍は

イラン軍の戦意の高さに苦戦し、

戦争は長期化

 

泥沼化する戦争を止めるため

国連の安全保障理事会が動きました

 

国連はイラクに即時停戦を呼びかけ、

停戦に応じない場合は経済制裁を加えるという脅しをかけました

 

イラクは停戦に応じ、

1988年にイラン・イラク戦争は終結しました

 

この記事では、

イラン=イラク戦争の背景について

詳しく述べていきます

 

イラン=イラク戦争の背景を詳しく

イラン=イラク戦争

イラクがイラン革命の波及を恐れたために発生しました

 

「イラン革命」 隣にシーア派共和国が成立

1979年 イラン革命が発生

 

親政米派パフレヴィー王朝の政策への不満を背景に、

イスラーム教シーア派指導者ホメイニが蜂起

イランの市民を率いて、

国王パフレヴィー2世を追い込み

親米派パフレヴィー王朝を打倒しました

 

ホメイニらは、

王家とのつながりがあったアメリカの影響力を排除するため、

アメリカ大使館を占領

 

アメリカはこれに激怒し、

イラン革命政府とアメリカの国交は途絶えました

 

革命後、ホメイニらを中心に

イラン=イスラーム共和国が成立しました

 

イラク政府 イラン革命を危険視

イラク政府はイラン革命を危険視しました

 

イラン革命はシーア派市民が起こした革命です

隣国でシーア派が勢いに乗っているのは、

イラクにとって危険でした

 

イラクはスンナ派が多数派の国で、

政府の高官もスンナ派を信仰しています

 

でもイラク国内にもシーア派住民がいます

イラク国内のシーア派住民たちは

「スンナ派が政権をとるイラクにいるよりも、

シーア派政権が成立したイランの方が、

安心した暮らしを送れるのでは?」

と考え始めます。

 

こうしてイラク政府に

心配のタネが生まれました

イラク政府の懸念

「イラク国内のシーア派住民が、イラクで革命を起こしたらどうしよう?」

「イラク国内のシーア派住民が、イランに土地を明け渡したらどうしよう?」

 

もちろんですが、

シーア派住民がイランになびいてしまうと、

イラク政府は困るんです

 

理由を説明します

 

イラクでは、シーア派居住区に油田が集中

次の図は、

イラク国内の油田地帯を示した図です

小さくて見えにくいかもしれませんが、

緑色で示した部分が

イラク国内の油田地帯です

 

もう1つ図を見せます

イラク国内のシーア派居住区を示す地図です

灰色で示した部分が

イラク国内のシーア派居住区です

 

 

この2つの図を重ねてみましょう

するとわかることがあります

イラク国内のシーア派居住区に

油田が集中していますね!

そういうことです。

 

イラク政府にとって最悪のシナリオがコレです

 

イラク国内のシーア派住民が

隣国イランのシーア派政権になびいて

イランに土地ごと明け渡してしまう

 

するとどうなりますか?

 

イラクはシーア派住民の持つ土地どころか、

国内の油田まで失ってしまいます

そういうことです

 

そしてイラク政府は

「何としても隣国でのシーア派の台頭を防がなくては」

と考えるようになり、

イラン革命政府の打倒を図ったのです

 

アメリカ イラクを支援

イランとイラクが対立する中、

アメリカはイラクを支援しました

 

アメリカはもともとイラン王家を支援していたのですが、

イランの王政はイラン革命によって崩壊

 

イラン国王が懇意に接していたアメリカも批判を浴び、

革命軍によってアメリカ大使館が襲撃されました

 

アメリカはイラン革命政府に激怒し、

イラン革命政府の打倒を図るようになりました

 

そしてアメリカは、

イランの敵方である

イラクを支援するようになったのです

 

1980年 イラン=イラク戦争の経緯

開戦

1980年 イラクがイランに侵攻

イラン=イラク戦争がはじまります

アメリカはイラクに武器を供与しました

緒戦はイラク有利で進みます

 

しかし守る側のイランでは、

国民の戦意が高揚します

 

「母なるイランを守れ」

「革命によって得た平等を守れ」

といって、志願兵が殺到しました

 

イラク軍はイランに苦戦し、

戦争は膠着状態となりました

 

国連の介入

戦争の長期化

イラク軍によるイラン人虐殺を危険視し、

国連が動きます

 

国連安全保障理事会で、

イラクに即時停戦の命令を下します

 

「イラクが従わない場合、イラクに対して経済制裁を加える」

という脅し文句もつきました

 

長期にわたる戦争で

軍事費が枯渇していたイラクは

これに従うほかありませんでした

 

イラクは停戦に応じ、

イラン=イラク戦争は終結にむかいました

コメント

タイトルとURLをコピーしました