戦間期のドイツ ヴァイマル(ワイマール)政府の時代 流れとポイントを解説

管理人
てっちり

元 高校世界史教師

教室での授業では、限られた人数に対してしか歴史を伝えられないことに物足りなさを覚える。
そしてもっと多くの人に歴史の面白さを伝えるために
教師を辞めてネットで世界史関連のコンテンツを配信するようになった。

てっちりをフォローする
  1. こんな人におすすめ
  2. 戦間期のドイツ史 大まかな流れ
  3. ヴァイマル政府の成立
    1. 1918年 ドイツ革命
    2. スパルタクス弾の蜂起
      1. 【質問】そもそもなぜ、社会民主党とスパルタクス団は対立したのか?
    3. 1919年 ヴァイマル憲法の成立
      1. 大統領と首相の違い
      2. 社会権の保証の功罪
  4. ヴァイマル政府の内政と外交
    1. 1920年 カップ一揆
    2. 1923年 フランスによるルール占領
    3. 1923年 ミュンヘン一揆
    4. 1923年 レンテンマルクの発行 ハイパーインフレの終息
    5. 1924年 ドーズ案とルール占領の解除
    6. 1925年 国際協調ムード ロカルノ条約の締結
    7. 1928年 不戦条約(ブリアン=ケロッグ協定)
    8. 1929年 アメリカ ヤング案を提示
    9. 1929年 世界恐慌の発生とドイツ経済の崩壊
    10. 1931年 アメリカ フーヴァー=モラトリアムを提示
    11. 1932年 ローザンヌ会議(賠償金を減額)
  5. ヒトラーの台頭とヴァイマル共和国の崩壊
    1. ヒトラーのヴァイマル政府・共産党・ユダヤ人批判
    2. 1933ヒトラーのナチス 政権を掌握
    3. 1933年 国会議事堂放火事件と共産党の解散
    4. 1933年 全権委任法の制定
    5. 1933年 社会民主党の解散命令
    6. 1934年 ヒンデンブルクの死 ヒトラー「総統」に
  6. おすすめの書籍
    1. 世界史劇場 ナチスはこうして政権を奪取した
    2. 世界史劇場 第二次世界大戦 熾烈なるヨーロッパ戦線
    3. 我が闘争
    4. いろんな本を読んで学習したいなら?

こんな人におすすめ

近現代史、とくに戦間期の歴史について学んでいます。

戦間期のドイツ(ヴァイマル政府・ヒトラーの時代)に

起こったできごとを学習しているのですが、

 

理解するのが難しいところが多くて苦戦しています。

誰かわかりやすく解説してください。

とお悩みの方

 

この記事では次のステップで戦間期のドイツ史

ヴァイマル政府の時代を解説していきます。

 

戦間期のドイツ

戦間期のドイツ史 大まかな流れ

ヴァイマル政府の成立

ヴァイマル政府の政治・外交

ヴァイマル政府の崩壊 原因と経緯

 

ヒトラーの政権掌握後から第二次世界大戦までは、

次の記事にまとめました。

 

戦間期のドイツ史 大まかな流れ

1918年 ドイツ革命が発生

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は退位し、

新政府としてヴァイマル政府が成立しました。

 

第一次世界大戦の敗戦国の政府として、

ヴァイマル政府はヴェルサイユ条約を承認

ドイツにとってあまりにも不利な条約を認めたことで、

ドイツ国民からの失望を買いました。

 

その後も弱腰な外交姿勢で批判を受け、

 

さらに1929年に起こった世界恐慌によって、

ドイツ経済は崩壊し、

ヴァイマル政府は無策でした

 

こうしたヴァイマル政府を批判する形で、

ドイツ国民から人気を得始めたのがヒトラーでした。

 

ヒトラーは演説によって

苦境にあるドイツを救うための、

具体的な政策を述べていきました。

 

そして国民の心をつかんでいき、

ヒトラーは1933年に政権を掌握

 

同年に全権委任法を成立させ、

国の苦境を脱するためには、

ヴァイマル憲法を無視して法律をつくることができる

と記しました。

 

こうしてヴァイマル共和国の憲法を無視した

独裁政治が行われるようになり、

ヴァイマル共和国は実質崩壊しました。

 

そしてドイツは、

国民からの圧倒的な支持を得たヒトラーによる

独裁国家「第三帝国」となっていったのでした。

 

めちゃくちゃざっくり説明するとこんな感じです。

ここからはヴァイマル共和国時代に起こったできごとを

順に解説していきます。

 

ヴァイマル政府の成立

1918年 ドイツ革命

まずはポイントを簡潔に述べます

ドイツ革命 ポイント

1918年 キール軍港の水兵反乱が発生

ドイツ全土で第一次世界大戦の停戦

皇帝ヴィルヘルム2世の退位を求める声が広がり

革命騒動に発展しました。

 

結果としてドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が退位し、

ホーエンツォレルン朝ドイツ帝国は滅亡

革命後の新政府としてヴァイマル政府が創立されました

ヴァイマル政府の第一党は社会民主党

大統領にはヒンデンブルク

首相にはエーベルトが就任しました

 

 

ドイツ革命の背景は、

第一次世界大戦の長期化でした。

かれこれ戦争は5年目に突入し、

ドイツ国民は限界でした。

 

そんな1918年のある日

ドイツ軍の水兵が反乱を起こしました

 

「敗色濃厚なのに、無謀な突撃命令ばかりするのはなぜだ」

「家族に会いたい。戦争を早く終わらせろ!」

こうしたムードが兵士たちにただよっていたのです

 

兵士たちは上官の命令を拒否し、

戦争をボイコットしました

 

兵士たちは軍法会議にかけられ、

敵前逃亡の罪で死刑を言い渡されます

兵士たちは「このまま死ぬぐらいなら…」

と腹をくくり

ドイツ軍司令部に対して大反乱を決行したのでした

 

キール軍港で始まったこの水兵反乱は、

ドイツ国内の様々な地域に飛び火しました

そしてドイツ各地で反戦暴動が起こったのです

 

反戦運動の主役となったのは

戦場に駆り出され続けた兵士たちと

軍需工場で働き続けた工場労働者でした

 

各地で反戦派の兵士や

反戦派の労働者がつどい、

レーテ(労兵評議会)が結成されました

 

反戦と政府の打倒をめざして戦い続けました

 

皇帝ヴィルヘルム2世は思います

「このままでは私の命が危うい」

そしてヴィルヘルム2世は国外逃亡を決意するのでした

 

そしてヴィルヘルム2世は

「全財産をもって逃げるぞ」と言って、

重い荷物を抱えてオランダに亡命してしまったのです

情けない…

こうして1918年 ドイツ帝国政府は崩壊

皇帝不在によってドイツ帝国は滅び

ドイツには新政府が立ち上がりました

 

新政府の樹立を宣言したのは、

ドイツ社会民主党のシャデイマン

そして、エーベルトを首相とする臨時政府が発足し、

三国協商との停戦交渉に入りました

 

ここまでがドイツ革命です

 

スパルタクス弾の蜂起

革命後の情勢は不安定でした。

臨時政府の発足後すぐに、

スパルタクス団」と呼ばれる反政府集団が蜂起したのです。

スパルタクス団とは?

第一次世界大戦中に社会民主党員の一部が

離反して成立した政治組織

共産主義者カール=リープクネヒトローザ=ルクセンブルク

リーダー格をつとめました。

 

のちのドイツ共産党の母体となります

 

スパルタクス団は、

第一次世界大戦中に、

一部の社会民主党員が離反して成立した組織です

 

彼らもドイツ革命の混乱の中で、

新政府の第一党として名乗りを上げたかったのですが、

社会民主党がひとあし先に新政府の樹立宣言を行ったため、

社会民主党のつくった臨時政府を、

ドイツの正式政府とする機運が強まっていきました。

 

つまりスパルタクス団は出遅れてしまい、

政権を得ることができなかったということです。

その腹いせに反乱を起こしたということでしょうか

ストレートに言えばそうなりますね。

 

 

スパルタクス団はベルリンで大暴れしました。

そのため、臨時政府にとっては危険でした。

 

そこで臨時政府は、

政治の拠点をベルリンからヴァイマルに移すことを決めました。

新政府の憲法もベルリンではなくヴァイマルで協議されたため、

憲法の名が「ヴァイマル憲法」と呼ばれるのです

 

本題に戻ります。

時間はかかりましたが、

臨時政府(社会民主党)はスパルタクス団の鎮圧に成功

その過程で主犯格のカール=リープクネヒトと

ローザ=ルクセンブルクは虐殺されてしまったのです。

 

これは非常にいたましいできごとでした。

 

【質問】そもそもなぜ、社会民主党とスパルタクス団は対立したのか?

少し気になります。

スパルタクス団は社会民主党から

離反してつくられたのですよね?

 

そもそもなぜ離反したのですか?

第一次世界大戦が長期化する中、

 

敵との戦闘を継続するかどうかで揉めたのです。

 

社会民主党はこう言いました

「国を守るためなら、戦争を続けよう」

 

スパルタクス団はこう言いました

「戦争を続けたら軍需産業が潤うだけだ」

「今ごろ軍需工場の経営者は、儲かりすぎて笑いが止まらないだろう」

「これ以上戦争を続けても、産業資本家(工場の経営者)が喜ぶだけだ」

「そんなことのために命をかける必要はない!」

つまり、

社会民主党は戦争の継続を黙認

 

スパルタクス団は戦争に断固反対したということですね

そういうことになります。

 

 

でもなぜ、

戦争を続けるかどうかで

こんなにも揉めるものなんですか?

 

社会民主党もスパルタクス団も、

元はと言えば「工業労働者の生活向上」目的とした政党です

 

彼らの敵は産業資本家(工場の経営者)でした。

当時は労働問題が深刻で、

低賃金で長時間働かせようとする経営者と、

長時間労働の禁止と給与UPを求める労働者が対立していました。

ブラック企業の経営者VS社員ってやつですね

現代風に言うとそうなりますね。

 

 

労働者と産業資本家の対立がさらに深まったのが、

第一次世界大戦の時期でした。

 

先ほども申したとおり、

戦争によって軍需産業が潤います

 

工場の経営者は儲かって仕方がありません。

軍からの注文が多いので、

工場は忙しくなります。

労働者の仕事は忙しくなりましたが、

当然工場の儲けも増えました。

業績が上がったなら、

給料UPを期待できますね!

 

 

 

しかし経営者(産業資本家)は労働者の給料を上げませんでした。

給料をたくさん支払うと、

経営者の取り分が減ってしまいますからね。

労働者からすると…

仕事は増えたけど、

給料は上がらない

 

って感じになったってことか…

 

 

そういうことですね。

 

スパルタクス団はこの構造が許せませんでした。

戦争によって大儲けしている産業資本家

ろくな給料も払わずに自分だけが豊かな生活を送っている産業資本家

 

こんな連中の金儲けのために、

国民が命をかけて戦う必要はないと考えたのです。

 

それに対して社会民主党は、

「産業資本家の利益になるだけなのは承知の上だ」

「でも敵国に負けて奴隷にされてしまうよりマシだ!」

「なんとか踏ん張って戦いを続けよう!」

と主張したのです。

 

こうして社会民主党とスパルタクス団は意見が対立し、

2つの党派に分裂してしまったというわけです。

なるほど

 

1919年 ヴァイマル憲法の成立

スパルタクス団がベルリンで蜂起している中、

政治拠点をヴァイマルに移し、

新憲法が起草されました

 

新憲法は「ヴァイマル憲法」と名付けられ、

1919年2月に施行されました。

 

ヴァイマル憲法 内容

①国会議員は男女普通選挙で決定する

②国会の指名で内閣総理大臣(首相)を指名する

③任期7年の大統領職を設ける

社会権を認める(世界で初)

⑤ドイツ領内の18の共和国の連邦制をとる

 

ややこしいところとポイントとなるところを深堀りします。

 

大統領と首相の違い

ヴァイマル共和国の大統領は、

非常時に独裁権を握る、

臨時のリーダーのようなものです。

 

非常事態になると国内が混乱するので、

迅速な決定が求められますからね。

 

逆に首相は非常時ではなく、

平常時の政治のリーダーとなります。

 

ちなみに大統領は国会議員選挙とは別で、

直接選挙で決められます。

首相は国会の指名によって決まります。

こうした違いがありました。

 

初代大統領は陸軍の英雄ヒンデンブルク将軍でした

彼は第一次世界大戦中のタンネンベルクの戦いで、

ロシア軍を完膚なきまでに叩きつぶした人物として有名です。

 

初代首相は社会民主党のエーベルトが就任しました。

 

社会権の保証の功罪

ヴァイマル憲法では国民の福祉が重視され、

社会権を明記した憲法として有名です。

 

中でも有名なのが「生存権」

国が生活保護を与え、

最低限度の生活を保障するというものです。

 

大戦後のドイツは国中が焼け野原で、

働く場所が限られていましたから、

失業者であふれていました。

 

失業者は収入がないので、生活が成り立ちません。

だから彼らに最低限度の生活を保障してやったのです。

うまくいったのですか?

この制度自体はうまくいったでしょうが、

この制度のせいで、他のことがうまくいかなくなりました。

 

たとえば?

 

国民の福祉のために予算を使いすぎたため、

賠償金の支払いは滞り、

第一次世界大戦の戦勝国を怒らせてしまいました。

 

また、軍にかける予算も減額していたため、

軍から政府への信頼も薄くなったのです。

なかなか大変ですね…

 

ヴァイマル政府の内政と外交

1920年 カップ一揆

カップ一揆は、

ヴァイマル共和国が成立して間もない時期に起こった

軍による反乱です。

首謀者の名をとって、カップ一揆と名付けられました

軍は何が不満だったのですか?

 

 

ヴァイマル政府の弱腰外交です。

ヴァイマル政府はヴェルサイユ条約を認めてしまい、

領土割譲・莫大な賠償金の支払い

そして徴兵制の禁止・保有兵器の制限などの条項を認めてしまったのです。

 

軍からするとたまったものじゃありません。

軍人にとっては軍が職場です

軍が弱体化してしまうと、

軍人にとっては面白くありません。

 

そこで一部の過激派の軍人が

ヴァイマル政府の打倒を企てて蜂起したのでした。

結果はどうなったのですか?

 

 

軍人たちが一時的にヴァイマル政府を倒し、

新政府の樹立を宣言したのですが、

軍による政府を国民が納得しませんでした。

 

ドイツ国内の労働者たちが、

大規模なストライキや武力闘争を行い、

「軍事政権を認めない」

という姿勢を示したのでした。

 

こうした労働者たちの活躍が実り、

カップ一揆は失敗に終わったのです。

 

1923年 フランスによるルール占領

まずはポイントから

ルール占領 ポイント

ドイツ(ヴァイマル共和国)による賠償金支払いの滞りに怒り、

フランスとベルギーが制裁措置として、

ドイツのルール工業地帯を占領

工業生産による利益を強引に接収しようとした事件

 

ルール工業地帯の労働者はフランスに対して、

ストライキをすることで抵抗(消極的抵抗

しかし結果としてインフレ(物価高騰)を招いた

(あとで詳しく説明します)

 

 

ヴァイマル共和国は国民の福祉を充実させ、

多くの国家予算をはたいていました。

 

結果として賠償金支払いがおろそかになり、

フランスとベルギーが激怒したのです。

 

フランスとベルギーは軍を動員して、

ドイツのルール工業地帯を占領し、

ルール工業地帯から生まれる収入を接収し、

賠償金の支払いにあてようとしました。

 

フランスの強硬な態度に対して、

ドイツ人のキモチに火がつきました。

 

ルール工業地帯でつとめるドイツ人労働者たちは、

フランスとベルギーの支配に抵抗しました。

武力で抵抗しても勝てないので、

彼らはストライキを決行したのです。

 

ルール工業地帯の工場をストップさせ、収益をゼロに

もちろん賠償金など1ミリも渡さないというメッセージを

フランスやベルギーの軍に示したのでした。

 

しかしこれが、

深刻なインフレ(物価高騰)につながってしまいます。

いったい何が…

 

 

まずはドイツの主要工業地帯、

ルール工業地帯の稼働がストップしています。

こうなると、生活用品の製造が停止してしまいます。

 

そして生活必需品となる工業製品が不足し、

それらの価格がみるみる高くなっていったのです。

 

モノがあふれていると価格が安くなりますが、

モノが不足していると、

レアになるので価格が高くなります。

 

コロナ禍でマスクが不足したときに、

マスクの価格が高くなり、

「転売ヤー」が荒稼ぎしていたときのような感じです。

なるほど

 

 

しかも主要工業地帯の収益がゼロになると、

ヴァイマル政府の税収も減ってしまいます。

 

ヴァイマル政府は深刻な資金不足におちいったのでした。

ピンチですね…

何か対策は打ったのですか?

 

 

ヴァイマル政府の高官「よし、紙幣を印刷しまくるか」

 

ヴァイマル政府は無策にも、

何もないところから紙幣を印刷しまくり、

その紙幣を行政に充てたのでした。

それってあんまりよくないんじゃ…

 

 

もちろんこれは大失策です。

世の中にはマルク紙幣があふれ、

マルク紙幣の価値は低くなっていきました。

 

しかも生活必需品が不足しているから、

物価も高い…

 

紙幣の価値が著しく低く、モノの価値は高い…

 

こうしてドイツでは深刻なインフレ(物価高騰)に見舞われたのです。

 

具体的にいうと、

「パンを1個買うのに1兆枚の札束が必要」

みたいな感じになってしまったのです。

グダグダじゃないですか

こんなんじゃ生活が成り立ちませんね…

この厳しい環境を突破する政治家があらわれるのですが、

もう少しあとで解説します。

 

さて、ヴァイマル政府のこの失策に対して

国民の不満が高まる一方でした。

 

そしてヴァイマル政府打倒を掲げた反乱が

目の前に迫っていました。

 

1923年 ミュンヘン一揆

ミュンヘン一揆は、

ドイツ中南部のバイエルンを中心に起こった、

ヴァイマル政府打倒をめざした反乱です。

ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)ヒトラーが首謀者でした

 

主犯格の人物が一部寝返ったことにより、

一揆は失敗に終わり、

軍と警察によって一揆は鎮圧されてしまいました。

ヒトラーはなぜ、

ヴァイマル政府を倒そうと思ったのですか?

ヴァイマル政府への怒りが原因ですね。

ヴェルサイユ条約の過酷な条項を認めたヴァイマル政府

ルール占領に対して無策だったヴァイマル政府

 

そんな弱い政府を倒し、

ドイツ人の生き残りを保証できる

強い政府につくりかえようとしたわけです。

 

なるほど。

 

反乱は失敗してしまいましたが、

反乱のあと、ヒトラーはどうなったのですか?

5年間の禁固刑となりました

刑罰は意外と軽いですね。

 

ちなみにヒトラーの裁判はラジオ等で放映され、

ヴァイマル政府への不満を持つ人々から共感を受け、

ヒトラーは獄中にいながらも英雄扱いされていたようです。

 

これによって名が知れたヒトラーは、

釈放後にみるみる名を上げていくことになります。

 

1923年 レンテンマルクの発行 ハイパーインフレの終息

「ルール占領によって発生したインフレを終息させること」

これがヴァイマル政府にとって急務でした。

 

このピンチの中、

優秀な首相があらわれます。

シュトレーゼマン首相でした。

 

シュトレーゼマンは言いました。

「市場に出回っているマルク紙幣をすべて回収せよ」

 

そして新紙幣「レンテンマルク」を適量印刷し、

1兆マルクの札束を1レンテンマルクと交換したのです。

 

世の中に出回りすぎて

暴落した紙幣を無効にしたんですね。

 

そして価値が適正な紙幣を使うようにしたってわけですか!

そういうことです。

これで紙幣の出回りすぎ問題は解決されました。

 

あとはルール工業地帯のフランス・ベルギー軍に撤退してもらい、

ルール工業地帯の工業生産を回復させないといけません。

 

そうしないと、

生活必需品が不足している状況を打開できず、

物価が高い状態は続いてしまいます。

 

シュトレーゼマンは外務大臣に転身し、

外交努力によってルール占領を解こうと考えました。

 

 

1924年 ドーズ案とルール占領の解除

外相シュトレーゼマンは

フランス・ベルギーにルール工業地帯から撤退してもらうため、

外交努力を重ねました。

 

フランス・ベルギーの要求は

「賠償金を滞りなく支払え」という内容でした。

賠償金さえちゃんと支払えば、

フランス・ベルギーはルール工業地帯から撤退してくれます。

どうやって支払うんですか?

アメリカの力を借りるのです。

 

まずアメリカと資本提携をします。

具体的に言うと、

ドイツの経済復興のための資金を、

アメリカから援助してもらったのです

 

そしてドイツの工業生産・工業収入を伸ばし

それをもってフランスへの賠償金支払いにあてようと考えたのでした。

 

この計画を「ドーズ案」と言いました。

第一次世界大戦の賠償金に関連する委員会の

委員長をつとめていたアメリカ人

ドーズの名が由来です

なかなか頭がいいですね。

 

でもアメリカにとっては

どんなメリットがあるのですか?

アメリカにとっては、

フランスからの借金返済がはかどるのです。

 

アメリカは第一次世界大戦時に、

フランスに軍事費を貸し出していまし

 

フランスはアメリカに借りたお金を返さなくてはいけません。

そこでフランスはドイツから支払われる賠償金を、

アメリカへの借金返済にあてていたのです。

 

 

でもドイツからの賠償金の支払いが滞っていたので、

アメリカに借金を返せなかったわけなんです。

 

でもアメリカの支援でドイツ経済が潤い、

ドイツがちゃんと賠償金を支払っていれば、

フランスはアメリカへの借金返済ができます。

 

こうして最終的に、

アメリカのところにお金が返っていく仕組みになっていたのです。

 

なるほど

アメリカにとってのメリットはそこか!

 

ドーズ案によって生まれたお金の循環を

「ヴェルサイユ賠償環」といいます

 

 

この循環はうまくいき、

ドイツの賠償金支払いははかどりました。

 

そして1925年に

フランス・ベルギーはルール占領を解除しました。

 

1925年 国際協調ムード ロカルノ条約の締結

1925年の世界は、

国際協調ムードに包まれていました。

第一次世界大戦での血みどろの争いを

二度と繰り返すまいと、

各国があゆみ寄っていた時期なのです。

 

その雰囲気の中で、

フランス外相ブリアン・イギリス外相オースティン=チェンバレン

ドイツ(ヴァイマル政府)外相シュトレーゼマンが会合を開き、

ロカルノ条約が結ばれました。

 

ロカルノ条約 内容

①ヴェルサイユ条約で定められた、ラインラントの非武装を再確認する

②翌年より、ドイツの国際連盟への加盟を認める

 

ドイツは国際連盟への加盟を認められた代わりに、

ドイツと西欧諸国の国境地帯である、

ラインラントへの軍の駐在をしないことを再確認し、

諸外国への宥和姿勢を見せたのでした。

 

1928年 不戦条約(ブリアン=ケロッグ協定)

ロカルノ条約以来、国際協調ムードは続き、

フランス外相ブリアン

アメリカのケロッグ国務大臣の提唱で、

パリで平和会議が開かれました。

 

そして結ばれたのが不戦条約(ブリアン=ケロッグ協定)で、

ドイツ(ヴァイマル政府)もこれに調印しました。

 

不戦条約 ポイント

国際紛争の解決の手段としての戦争を放棄する

※ただし、違反しても罰則規定がなかった

 

つまりこういうことです。

「国際紛争(外国とのトラブル全般)を解決するために、

戦争をすることで決着をつけてはいけないよ」

武力ではなく、

外交努力で解決しなさい

ってことですね!

そういうことです。

 

 

ただし、不戦条約には穴がありました。

違反しても罰則がなかったのです。

だからこのあと、不戦条約を破る国が次々にあらわれます。

 

1929年 アメリカ ヤング案を提示

1929年 アメリカの提案でヤング案が提示されました。

ヤング案 内容

①ドイツが支払う賠償金の総額を358億マルクに減額する

賠償金の支払い期限を延長する

 

ヴァイマル政府の外交努力が実り、

ドイツに課せられた賠償金の金額が減額されました。

 

そして支払い期限も延期され、

敗戦後にしては順調だと思われたのですが…

 

1929年 世界恐慌の発生とドイツ経済の崩壊

1929年 アメリカで世界恐慌が発生しました。

アメリカを深刻な不況が遅い、

アメリカ政府は不況対策に追われました。

 

さて、こうなるとドイツがめちゃくちゃ困ります。

ドイツに一体なにが…?

アメリカのドイツへの経済援助が停止したのです。

 

少し復習ですが、

アメリカは1924年にドーズ案を提示し、

ドイツの賠償金支払いを促進するため、

ドイツへの経済援助を行っていたのです。

 

その援助が長く続いていた結果、

ドイツ経済はアメリカからの援助に依存していたのです。

 

アメリカからの資金援助が停止するとどうなりますか?

ドイツの工場は活動資金が激減し、

パニックになりそうですね

そうなんです。

 

実際にドイツの多くの工場が、

操業を停止するハメになったのです。

 

すると工場の経営者はリストラを始めます

労働者を雇う金がなくなってきますからね。

 

こうしてドイツは失業者であふれてしまったのです。

 

この苦境におちいって、

ヴァイマル政府は何もできず、

指をくわえて見ているだけだったのです。

 

1931年 アメリカ フーヴァー=モラトリアムを提示

世界恐慌の打撃を受け、

ドイツ経済は破綻しました。

 

不況によってヴァイマル政府の税収も滞り、

賠償金の支払いも滞りました。

でもこれって仕方がないですよね…

同情します…

そうなんです。

 

アメリカもドイツに同情する姿勢を見せ、

アメリカのフーヴァー大統領が

フーヴァー=モラトリアム」を発表しました

 

内容は簡単

「ドイツの賠償金支払い期限を1年間延長する」

といったものでした

 

「モラトリアム」とは「猶予」という意味です。

賠償金を支払うための猶予を与える

という意味が込められています。

 

1932年 ローザンヌ会議(賠償金を減額)

ドイツの苦境は変わらず、

賠償金をとても払える状況ではありませんでした。

 

そこで各国で協議が行われ、

ドイツの賠償金を30億マルクに大幅減額することで合意しました

 

これがローザンヌ会議の成果です。

 

ヒトラーの台頭とヴァイマル共和国の崩壊

世界恐慌でドイツが不況に見舞われる中、

ある男が禁固刑を終えて釈放されました。

 

ミュンヘン一揆の首謀者として逮捕されていた

アドルフ=ヒトラーです。

 

ヒトラーはドイツの惨状を見て愕然としました。

 

そしてヒトラーは、

この惨状を招いたヴァイマル政府を倒し、

自身が権力を得ようと考えました。

 

ヒトラーのヴァイマル政府・共産党・ユダヤ人批判

ヒトラーはナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)を再建し、

各地で遊説しました。

 

ドイツ経済が崩壊した原因は何か?

1つめは諸外国から課せられた賠償金

賠償金を支払っている限り、

ドイツの富は外国に流れていく一方だ

 

2つめは主要な工業地帯や鉱山が、

外国の手にあることだ。

ヴェルサイユ条約によって、

ザール炭田は国際管理され、

工業地帯アルザス=ロレーヌはフランスの手に落ち、

ドイツの工業は衰退していった。

 

ドイツ産業革命の始まりの地

ラインラントは非武装地帯とされ、

ドイツはこの歴史ある大切な土地を守ることすらできない。

 

こうなってしまったのは誰のせいか?

1つめはヴェルサイユ条約を認めて調印した

社会民主党ひきいるヴァイマル政府

 

2つめは第一次世界大戦中に、

裏切り者がいたことだ

ソヴィエト(ロシア)のスパイとして潜伏して、

戦争継続の妨害工作をしていた共産党

 

そして敵国にカネと情報を横流しにしていた、

ドイツ国内のユダヤ人

 

 

こうしてヒトラーは、

ドイツが苦しい状況にある責任を、

賠償金を求める諸外国

社会民主党(ヴァイマル政府の第一党)

ドイツ共産党員やソ連

ユダヤ人などに責任転嫁していったのでした。

 

当時のドイツは失業者が多く、

プライドはズタズタ

打ちひしがれていた状況だったので、

ドイツ国民は大いに共感し、

ヒトラーの演説に盛り上がりました。

敵をつくると、

みんな団結するんですね

人間の集団心理ってものでしょうか。

そうですね。

 

ヒトラーは正しいことを言っているわけではありませんが、

人間の心理をよく理解したうえで、

演説をするのが上手だったのだと思います。

 

ドイツ国民は思いました

「この男ならもしかして…」

そしてヒトラーは熱烈な支持を受けて、

政界で頭角を現していきました

 

1933ヒトラーのナチス 政権を掌握

1933年 ヒトラーが率いる

ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)が政権を掌握

ここからヒトラーの暴走が始まります。

 

ヒトラーにとっての邪魔者は、

ヒンデンブルク大統領・共産党・社会民主党です

理由はのちの章で詳しく話します。

 

1933年 国会議事堂放火事件と共産党の解散

共産党は当時、

ナチスに並ぶほどの支持率を誇っていました。

こちらは脅威です。

共産党の人気があったのはなぜですか?

世界恐慌とソ連の影響ですね。

 

 

世界恐慌によって、

資本主義国の経済は壊滅していきました。

 

しかしソ連は世界恐慌の影響を受けなかったのです。

(理由を話すと長くなるので今回は割愛しますが)

 

ドイツの人々は不況にあえいでいたので、

「ソ連式の共産主義国家を見習えばいいんじゃないか?」

という世論が強まっていたそうです。

ヒトラーにとっては最大の敵ですね。

 

ヒトラーは力技を使って、

共産党を解散させました。

それが国会議事堂放火事件です。

 

「国会議事堂が放火された」

「警察の調べの結果、これは共産党員のしわざらしい」

 

という虚構をでっちあげて、

共産党に解散命令を出したのでした。

力技もいいところですね

 

共産党員は議員資格をはく奪され、

共産党員が国会で持っていた議席は、

そこに座っていた議員ごと抹消されました。

 

1933年 全権委任法の制定

ヒトラーは共産党を解散させたことによって、

国会の議席のほとんどを掌握しました。

 

そしてナチスの独裁を完成させるため、

ついに全権委任法を国会で可決しました

 

全権委任法 ポイント

ナチスは民族にとっての困難を除去するためなら、

ヴァイマル憲法で定められた手続き(国会の審議)を経ずに、

法律をつくることができる

 

ヴァイマル憲法を無視した政治が可能に…

これでヴァイマル憲法は無効化された

ということですね。

そういうことです。

こうしてヴァイマル共和国は

実質滅びた形になったのです。

 

この記事では一応、

ヒトラーの独裁が完成するまで書きますね。

 

1933年 社会民主党の解散命令

全権委任法の審議は、

一応ヴァイマル憲法にのっとって行われました。

しかしナチスが国会の議席の大半を占めていたので、

圧倒的多数の賛成で可決しました。

 

全権委任法の国会審議において、

反対票を出していたのが社会民主党でした。

 

ヒトラーはこれを熟知しており、

全権委任法で独裁権を得てから、

社会民主党の解体に動きだしました。

 

ナチスの政策に反対した社会民主党員を

国家反逆罪のような名目で捕らえ、

議員資格をはく奪していったのでした。

 

こうして社会民主党は解散状態に追い込まれ、

活動を停止しました。

 

1934年 ヒンデンブルクの死 ヒトラー「総統」に

ヒンデンブルク大統領は元軍人で、

第一次世界大戦中にロシア帝国軍を

タンネンベルクの戦いで破った英雄

 

首相のヒトラーよりも根強い人気があるので、

下手をうつと寝首をかかれます。

 

しかしヒトラーに朗報が

「ヒンデンブルク閣下が亡くなりました」

ヒトラーは笑いが止まらなかったでしょう。

 

ヒトラーは大統領職を事実上廃止し、

首相と大統領の両方の権限を併せ持つ

総統(フューラー)」という役職を設けました

 

そして自身が「総統(フューラー)」に就任したのでした。

 

こうしてヒトラーの独裁が完成しました。

 

世界一平和で民主的な憲法と言われた

ヴァイマル憲法は効力を失い、

ドイツはヒトラーによる独裁国家へと変貌していったのです。

 

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