こんな人におすすめ
ロシア革命について学んでいます
その前段階として起こった
ロシア第一革命について学習しているのですが、
いまいちよくわかりません。
どなたかわかりやすく教えてください
とお悩みの学生・社会人の方
・ロシア第一革命とは?(簡潔に)
・ロシア第一革命の背景
・ロシア第一革命 起こったできごとを詳しく
・ロシア第一革命を学ぶためのオススメ書籍
読者の皆さんへのメッセージ
こんにちは。
元々高校の教員をしていました。てっちりです。
このサイトでは、
世界史を学ぶうえでの
「わからない。」「なぜ?」に
お答えできるよう、情報を掲載しています。
特に近現代史になると、学ぶ概念も難しくなってくるので
生徒からの質問もわんさか飛んできました(笑)
そんな、学んで苦戦してきた教え子たちの苦悩と
ひとつひとつの質問に丁寧に答えてきた私の苦悩を無駄にしたくなかったので、
今回は記事としてしたためました!
ロシア第一革命とは?(簡潔に)
ロシア第一革命とは、
1905年の「血の日曜日事件」をきっかけに始まった
ロシア国内での大反乱のことを指します。
ロシア皇帝は民衆の怒りを鎮める必要があったため、
ロシア皇帝ニコライ2世は民衆に妥協し、
国会(ドゥーマ)の開設と、
ミール(農村共同体)の解体を約束し、
ロシアの民主化がすすめられました。
ロシア第一革命の背景
日露戦争の長期化が革命の引き金に
1904年 日露戦争が始まりました
近代となってからは、
鉄道の普及などにより、
戦争には多くの兵士・兵器が動員されるようになりました。
日露戦争でロシアは約140万人の兵を動員し、
日本と激戦を繰り広げました。
戦争を継続するためには、
兵士の食料・兵器の弾薬などを
常に戦地に届けなくてはいけません。
戦争に必要な物資を作り、届けるために、
ロシア政府は農村から農作物を接収し、
工場を毎日フル稼働させました
兵士たちは毎日のように地獄の戦闘に巻き込まれ、
戦意は下がっていく一方でした。
さて、戦争が長期化すれば誰が困るでしょうか?
明白ですよね?
作物を接収される農民
忙しく工場で働く労働者たち
前線で戦う兵士たち
といったところでしょうか?
そうです。
作物を接収される農民
忙しく工場で働く労働者たち
前線で戦う兵士たち
こうした
「戦争によって不利益を被る人たち」が
「もう戦争をやめろ!」という声をあげて
革命の主役となっていくのです。
では質問を変えます。
「逆に戦争によって利益を得られる人は?」
軍需工場の経営者とかですかね?
ほら、軍に武器とかが売れるから!
そういうことです。
工場の経営者(産業資本家)からすると、
戦争があると儲かって仕方がありません。
金属を作る工場なら、
兵器に使う金属が飛ぶように売れます。
繊維工場なら軍服が飛ぶように売れます。
工場経営者からすると、
自身が経営する工場の労働者を馬車馬のように働かせて、
低賃金で労働させ、
それを軍に出荷するだけで、
莫大な利益を得られるわけなんですよ。
そしてこの対立構造は
戦争で儲かる工場経営者(産業資本家)と
給与が変わらず仕事量だけが増えた労働者たちの間での対立が深まり、
のちのロシア革命(1917年)につながっていくことにもなるのです。
ロシア第一革命 各地で起こった革命運動
1905年 血の日曜日事件
まずは簡潔にポイントのみを伝えます
司祭ガポンを中心とする
日露戦争の停戦を嘆願する市民団を
皇帝ニコライ2世の近衛兵が弾圧した事件
市民を武力弾圧したロシア皇帝の権威は失墜し、
ロシア国内全域で市民暴動が多発する結果となった。
ひどいですね…
当時のロシアでは、
日露戦争の長期化によって、
生活物資が不足していました。
司祭ガポンは飢えていく市民たちの姿を見かねて、
皇帝に嘆願しようと考えました。
「皇帝陛下、戦争をおやめください。」
「このままでは市民が飢えてしまいます。」
皇帝に嘆願するため、
ガポンは都市の労働者や農民たちを
ペテルブルクの宮殿の前に集めました。
あくまで目的は「皇帝への嘆願」です。
ガポンからすると、
「皇帝陛下にお願いがあって、訪ねてきました」
という感覚だったのですが、
皇帝ニコライ2世は少し勘違いしてしまったようです。
ニコライ2世は思いました
「市民たちが宮殿の前にたむろしている…」
「これは革命騒ぎに違いない!」
「きっと私を殺そうとしているんだ!」
そして近衛兵に、
デモ隊への発砲を命じてしまったんです。
そして宮殿の前の広場は血の海となったことから、
「血の日曜日」と呼ばれるようになりました。
「嘆願する民衆に対して、皇帝が発砲した」
というニュースは瞬く間に広まり、
ロシア国内では反皇帝のデモが頻発しました
ロシア国内で起こった反乱の数は
1日で最大3000件ほど
軍需工場では労働者によるストライキが横行し、
ゼネスト(全国的なストライキ)が発生しました。
めちゃめちゃカオスじゃないですか…
しかもさらに追いうちが…
戦艦ポチョムキンの反乱
戦争の長期化に反対する動きは、
ロシア軍内部でも起こりました。
戦艦ポチョムキンがその一例です
ポチョムキンは黒海の艦隊の戦艦でした。
ロシア軍は日露戦争の前線に
食料を優先的に供給していたため
慢性的な食料不足に悩まされていました。
もはや水兵たちは空腹の限界でした。
そんな戦艦ポチョムキンで事件が起こります。
その日は久しぶりに、
水兵たちの食事の献立に肉料理がありました。
水兵たちは久々の肉料理を楽しみにしていました
しかし出てきた料理を見ると驚愕
肉は腐っていて、ウジ虫がわいていたのです
水兵たちは上官に苦情を言います
「お言葉ですが、肉にウジ虫がわいています」
それに対して上官はこう返事しました
「それはウジではない。ハエの幼虫だ。いいから食え。」
一緒じゃないですか(笑)
水兵たちは上官の態度にキレてしまい、
上官をなぶり殺してしまったのでした
上官を殺してしまうと、
軍法会議にかけられてしまいます。
水兵たちはポチョムキンを操縦し、
国外へ逃亡してしまいました。
ポチョムキンで起こった事件を皮切りに、
ロシア軍内部で上官への命令無視や、
日本との戦いをボイコットする動きが進んでいきました。
もはやロシアは戦争を継続することが困難となりました。
ソヴィエトの結成
反戦運動・反皇帝運動の中で生まれた反政府組織が
ソヴィエト(労働者と兵士の評議会)です
その名の通り、
ソヴィエトには工場労働者と兵士の意見を代表する指導者が集まりました。
戦争によって軍需工場がフル稼働していたため、
工場労働者は非常に忙しく、
しかも経営者は給料を上げてくれない…
そうした不満を持っていました。
兵士たちも長期的な戦争は限界で、
早期停戦を求めていました。
こうした反戦派・反皇帝派が結集し、
ソヴィエト(労働者と兵士の評議会)を結成したのです。
のちに農民からの代表者も加わっていくことになります。
ロシア第一革命 皇帝ニコライ2世 反体制派の懐柔へ動く
十月勅令 国会(ドゥーマ)の開設
皇帝ニコライ2世は、
「このままではロシアが崩壊する」と危惧して、
日露戦争の講和に動きました
そして戦争の終結を告げ、
怒り狂う民衆をなだめようとしました。
しかし一度暴れ始めた民衆の怒りは
なかなかおさまりません。
うろたえるニコライ2世に
側近のウィッテが提案しました
「皇帝陛下、民衆をなだめるために勅令を出しましょう」
こうして発布されたのが十月勅令です
内容はウィッテが起草
①国会(ドゥーマ)の開設を約束する
→国会の議員は別途 選挙によって決定する
②集会・結社の自由を認め、政党の結成を承認する
ざっくりこんな内容です。
皇帝からのメッセージはこうです。
貴様たち民衆のために国会を開設してやる。
自分たちの願いをかなえてくれそうな議員に投票し、
国の政治に自分たちの意見を反映させなさい
かなり民衆に歩み寄りましたね!
そうですね。
国会を開いて意見を言わせてやるから、
暴れるんじゃないよ?
というメッセージがこめられています。
しかし内容はかなり不公平でした。
どういうことですか?
国会議員を選定するために、
選挙が開かれるのですが、
身分によって1票の格差があったのです
地主は1人で2票を投じることができました
産業資本家は1人で1票
農民は1人で1/7票
労働者は1人で1/22票
こんな感じになっていました。
労働者の1票の価値が
めちゃくちゃ低いじゃないですか!
しかも皇帝の権限は強大なままで、
皇帝は国会の議決に対する拒否権を持ちます(笑)
もはや国会の意味ないじゃないですか(笑)
これは皇帝が民衆に歩み寄るようなポーズをしただけですね。
政治の世界にはこういうことがよくあります。
で結局誰が国会議員になったのですか?
産業資本家らからの支持を得た立憲民主党(カデット)が
国会の中で有力な地位を得ました。
選挙制度では地主や産業資本家などの富裕層が有利でしたからね。
新しい国政が始まり、
初代首相はウィッテが就任しました。
(すぐに失脚しましたが)
もちろんこの結果には不満が殺到
農民や工場労働者たちは不満です。
なぜなら、
儲かるからって戦争に賛成していた、
産業資本家たちが国会を牛耳っているのですから。
さすがの政府も、
農民・労働者・兵士たち
すべてを敵にまわすと厄介です。
そこで政府は反体制派の分断に動くのです。
1907年 ストルイピンのミール解体
国会の開設をしましたが、
「農民や工場労働者はいまだに不満を持っている」
と先ほどの章で述べました。
このままではまた大反乱が起こってしまいます。
そこで3代目首相ストルイピンは策を講じました
それがミール(農村共同体)解体です
ミール(農村共同体)を解体し、農民に農地を分配する
→国内の最大多数を占める農民を懐柔することが目的
大切なのは農民に土地を与えたということです。
日露戦争の長期化によって苦しい想いをした農民・労働者・兵士たちに
団結されたら困ります。
そこで政府は農民だけを優遇し、味方につけようと考えました。
そうすれば反体制派を分断することができますからね。
ちなみにミール(農村共同体)って何ですか?
これは1861年の農奴解放令の産物です。
農奴解放令が出された頃から、
農民たちはミール(農村共同体)に編入され、
政府への借金を返済する日々を送っていました。
話すと長くなるのですが、詳しく説明します。
1861年の農奴解放令では
農民に移動の自由を認められた上に、
農民に土地が与えられました。
いい政策じゃないですか
しかし落とし穴があります。
土地は無償ではなく有料です。
まず政府が地主から土地を買いあげ、
それを農民たちに強制的に売るという形をとりました(笑)
農民たちは土地を買うお金を持っていませんから、
政府から借金をします。
その借金で土地を買い、
土地の購入費用を49年の分割払いで返済していったのです。
借金を返済するまでに農民に逃げられるといけません。
そこで政府は農民をミール(農村共同体)に編入し、
農民をタグ付けしたのです。
もはや社畜みたいな感じじゃないですか
ストルイピンはそんなミール(農村共同体)を解体し、
農民の持つ借金もチャラ
農民に土地を無償で与えることにしたのです。
こうして農民を懐柔しようとしました。
なるほど!
まとめ
ロシア第一革命は、
日露戦争の長期化に不満を持った人々の嘆願を
皇帝が無視した「血の日曜日事件」によって始まりました。
民衆から皇帝への怒りがつのり、
ロシアで大規模な反政府活動が行われることとなりました。
反体制派はソヴィエトを結成して皇帝に対抗
皇帝ニコライ2世はうろたえました。
皇帝は民衆をなだめるために、
十月勅令で国会の開設を約束し、
さらにストルイピン首相の献策でミール解体を実施することで、
反体制派の懐柔を図りました。
もう一度流れをまとめるとこんな感じになります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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