国民公会の成立から崩壊まで 国王夫妻の処刑・第1回対仏大同盟・ヴァンデーの農民反乱・ロベスピエールの恐怖政治・テルミドール9日のクーデタ【フランス革命をわかりやすく⑤】

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てっちり

元 高校世界史教師

教室での授業では、限られた人数に対してしか歴史を伝えられないことに物足りなさを覚える。
そしてもっと多くの人に歴史の面白さを伝えるために
教師を辞めてネットで世界史関連のコンテンツを配信するようになった。

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単元解説 フランス革命

こんな人におすすめ

フランス革命を学んでいますが、

難しくてよくわかりません。

丁寧にわかりやすく説明してください。

とお考えの学生の方、受験生の方、世界史を学びなおしている社会人の方

 

フランス革命中の出来事を細かく区切り、

ひとつひとつのできごとについて詳しくわかりやすく説明していこうと思います。

 

この記事の対象語句

主に国民公会の時代に起こったできごとを詳しく説明します。

1792年  国民公会の成立

1793年  ルイ16世夫妻の処刑

1793年  第1回対仏大同盟の結成

1793年  ヴァンデーの農民反乱

1793年  ロベスピエールの恐怖政治(革命裁判所・公安委員会・保安委員会)

1794年  テルミドール9日のクーデタ

 

国民公会の時代 主要なできごと

国民公会の成立

1792年 立法議会が解散し、新たな議会が開かれました。

その名も国民公会 メンバーは男子普通選挙で決定されました

国民公会ではオーストリアとの戦争で名を上げたジャコバン派が政権を獲得しました。

 

ジャコバン派についておさらいしておきます

ジャコバン派

急進共和制を主張

国王に対して厳正な処分を下し、共和制(王がいない政治)を実施しようとした

支持層は貧民(サンキュロット

リーダー格はロベスピエール

ほかに幹部として、ダントン・エベールなどがいた

 

国王ルイ16世夫妻の処刑

1793年1月 パリの民衆たちが歴史的なシーンを目の当たりにします

「国家に対する裏切り」を働いたとして、国王が処刑されます。

民意は「国王を殺せ」「フランス共和国万歳」という方向に動いていました。

 

国王ルイ16世が断頭台に連行され、ギロチンの刃が降りました。

そしてフランス国王ルイ16世は死んだ。

こうしてブルボン朝による王政は終わりを告げました。

少し時間をおいて、マリ=アントワネットも処刑されました。

余談ですが、ギロチンのお話をします

 

ギロチン

死刑囚に余計な苦痛を味わわせないため、

ルイ16世が技師ギヨタンに開発を命令した処刑具です。

技師のギヨタンの名から「ギロチン」と名付けられました。

 

「人権に配慮し、死刑囚に余計な苦痛を与えない」

近代的な発想が生まれた瞬間でした。

 

ギロチンの登場には、もうひとつの歴史的意義があります。

これまで、死刑の方法は地域によってバラバラだったり

裁判権を持つ領主によって決められたりしていました。

同じ死刑囚でも、課せられる刑罰はバラバラだったのです。

でもフランス革命にともない、革命政府は処刑方法をギロチンに統一しました

これは、すべての死刑囚を「平等」に同じ方法で裁くためです。

フランス革命のテーマは「自由と平等」

ギロチンは死刑囚にとって平等の象徴だったのです。

 

第1回対仏大同盟の結成

ルイ16世の処刑はヨーロッパ各国を震撼させました。

 

各国の王たちはこう考えます。

「このニュースが各国の市民たちに伝わればまずい…」

「私の政治に不満を持つ市民たちが、私を殺しにくるかもしれない」

 

そんなフランス革命政府に危機感を抱き、

ヨーロッパ諸国がフランス革命の妨害を図りました。

 

提唱者はイギリスの首相 ピット

オーストリア・プロイセン・ロシアなどの王国を巻き込み、第1回対仏大同盟を結成

フランスへの対抗姿勢を示しました。

 

同盟とは言っても一枚岩ではなく、

フランスを滅ぼすほどの破壊力は発揮できませんでしたけどね。

 

ヴァンデーの農民反乱

対仏大同盟の脅威に対し、国民公会は応戦します。

全国に徴兵令を出し、可能な限り兵士を集めました。

 

しかし、ヴァンデーという農村で徴兵制反対一揆が起こりました。

それに便乗して、各地で同様の反乱がおこるようになったのです。

 

この反乱には黒幕がいました。

革命によって失脚していた貴族たちです

彼らは潜伏先で「王党派」を結成し、国民公会の転覆と王政の復活をめざしました。

そして徴兵に反対する農民たちをそそのかし、国民公会に反乱を挑みました。

 

最終的にこの反乱は鎮圧されましたが、のちの国民公会の政治に大きな影響を与えました。

 

ロベスピエールの恐怖政治

「敵が攻めてきているのに、国内が一枚岩にならない」

焦りながら政治をおこなっていたのが、

ジャコバン派のリーダー ロベスピエールです

 

ロベスピエールのプロフィールを紹介します。

ロベスピエール

弁護士(裕福だが平民)の息子として生まれ、

生まれたころは裕福な暮らしを送る。

 

しかし6歳で母が死に、病んだ父親は失踪

ロベスピエールは貧しい祖父母に引き取られ、貧しい生活を送った

ロベスピエールは父と同じ弁護士を志し、大学に進学

学費を払えるような家庭ではなかったのだが、

学費の安い国立の大学へなんとか進学した

 

成績優秀者のみに与えられる奨学金があったので、

トップ成績を維持しながら、しっかりと奨学金をもらっていた!

とても勤勉で賢い若者であった。

 

周りの生徒は、親からの期待が熱い貴族のおぼっちゃまばかり

「自分の成績を親に認められるためには、あの男が邪魔だ」

と言って、成績優秀なロベスピエールを目の敵にしました。

 

「貧乏人がいい成績をとりやがって」と言われ

ロベスピエールは貴族の子からいじめられてしまうのでした。

このときからロベスピエールは

「金持ちは薄汚い連中ばかりだ」と思うようになり、

貴族を嫌い始めたのかもしれません。

 

保安委員会の設置

ロベスピエールは国内の統制を図るため、警察組織をつくりました

その名も「保安委員会

徴兵に反対する人々は反革命分子として即逮捕されました。

 

革命裁判所の設置

保安委員会にとらわれた「反革命分子」は、裁判所に連行されます。

そしてロベスピエールの処断で、多くの人々がギロチンにかけられました。

 

その過程で、ジャコバン派の幹部 ダントンも処刑されてしまいます。

富裕層との間にワイロをやりとりしていたとの疑惑が浮上し、ダントンは捕まります。

先の項目でも述べましたが、ロベスピエールは金持ち連中が大嫌いですからね。

 

ダントンはギロチンにかけられ、処刑されます。

最後の言葉が印象的です。

 

「ロベスピエール、次はお前だ!」

「これほどの首はめったにないぞ!民衆にしっかりと見せてやれ!」

と言い残し、ギロチンの刃がダントンを切り裂きました。

 

名演説で民衆の心を動かした男のあっけない最期でした。

 

公安委員会の設置

「敵が攻めてきているというのに、足並みがそろわない」

そんな政界に嫌気がさし、

ロベスピエールは自身の独裁権の強化を図りました。

「自分がすべての指揮をとれば、ドリームチームだ」

そう考えたのです。

 

そしてロベスピエールは国民公会の内部に「公安委員会」を設置しました。

そして国民公会の持つ政治権力をほとんど、公安委員会に集中させました。

委員長はロベスピエール

 

93年の6月には、政界のライバル勢力 ジロンド派を追放し、

ロベスピエールの独裁は完成しました。

 

ここから先は選挙など関係なく、ロベスピエールの意のままに政治が運ばれるようになったのです。

ロベスピエールに反対意見を言ったらどうなるんですか?

A.もちろんギロチンです

 

この政治を「ロベスピエールの恐怖政治」と言います。

 

テルミドール9日のクーデタ

恐怖による支配は長く続きません。

ロベスピエールの独裁ぶりにブレーキをかけるため、

ロベスピエールの暗殺計画が進められていました。

 

計画の実行日は、「革命暦」という国民公会が定めたカレンダーで

テルミドール(熱月) 9日」という夏の日でした。

 

国民公会の議場でロベスピエールが演説します。

「この中にひとり、裏切り者がいる。今日はそいつを処刑しようと思う。」

 

聴衆はざわめきます。

「まさか、消されるのは俺か?」

 

でも同時に聴衆たちはこう考えました

「ここで死ぬのは俺かもしれない。」

「でも、ここで奴(ロベスピエール)を殺せば、生き残れるかもしれない」

 

聴衆のひとりが叫びます

「ロベスピエールを倒せ!」

その言葉を合図に、聴衆たちが一斉にロベスピエールを襲います。

一人の男が撃った銃が、ロベスピエールのアゴに命中し、彼は気絶しました。

 

捕らわれたロベスピエールはギロチンにかけられます。

断頭台の前で「ロベスピエールくん、最後の言葉はあるかね?」

と尋ねられたが

アゴを撃たれていたので、うまく話せずに終わった。

 

こうしてジャコバン派率いる国民公会は完全に崩壊しました。

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