ウィーン会議 ウィーン議定書の流れ・ポイントの解説【ウィーン体制をわかりやすく】

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てっちり

元 高校世界史教師

教室での授業では、限られた人数に対してしか歴史を伝えられないことに物足りなさを覚える。
そしてもっと多くの人に歴史の面白さを伝えるために
教師を辞めてネットで世界史関連のコンテンツを配信するようになった。

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Q&A 疑問の解決

こんな人におすすめ

ウィーン体制について学んでいるんですが

難しくてよくわかりません。

誰かわかりやすく教えてください。

とお悩みの高校生・大学受験生・世界史を学びなおしている社会人の方

 

この記事からわかること

・「ウィーン会議・ウィーン議定書」とは?

・「正統主義」の意味とフランス外相タレーランの意図

・「勢力均衡」なんで大事なの?

・ウィーン議定書における領土分割 今後につながるポイント

・「四国同盟神聖同盟」なんのため?

読者の皆さんへのメッセージ

こんにちは。

元々高校の教員をしていました。てっちりです。

 

このサイトでは、

世界史を学ぶうえでの「わからない。」「なぜ?」に

お答えできるよう、情報を掲載しています。

 

特に近現代史になると、学ぶ概念も難しくなってくるので

生徒からの質問もわんさか飛んできました(笑)

 

そんな、学んで苦戦してきた教え子たちの苦悩と

ひとつひとつの質問に丁寧に答えてきた私の苦悩を無駄にしたくなかったので、

今回は記事としてしたためました!

 

ウィーン会議・ウィーン議定書をわかりやすく

ウィーン会議・ウィーン議定書の概要

まずは、おさえておく語句とポイントを簡潔にまとめます。

ウィーン会議 ポイント

1814年~15年 ウィーン会議

★議題:ナポレオン戦争の後始末をどうするか?

→特に領土分割に関して各国の利害が対立し、会議は硬直化

→「会議は踊る、されど進まず」と揶揄された

 

★主催:オーストリア外相メッテルニヒ

★場所:オーストリア首都ウィーン

★参加国:ナポレオン戦争に関連したすべての国

 

ウィーン議定書 ポイント

1815年 ウィーン議定書の締結(ウィーン会議の成果)

★ウィーン議定書の目的

①各地で起こる自由主義運動をおさえこむ

②ナポレオン戦争の悲劇を繰り返さないよう、世界平和を実現する

 

★内容

フランス外相タレーランが主張した「正統主義」を採用

→この概念によって各国の自由主義運動は無理やりおさえられ…

自由主義者と保守派(王・貴族などの支配層)が対立する社会に

 

②「勢力均衡」がキーワードに

→各国の勢力を均一化するため、領土の再分割が行われた

 

③平和維持機構(四国同盟神聖同盟)の結成

→現在の国連のベースとなる、平和維持機構が設立された

 

※この項目はあくまで概要なので、のちの項目で詳しく

 

そもそもウィーン体制って何だよ?

って人はコチラの記事をお読みください

 

「正統主義」の意味とタレーランの意図

まずはポイントを簡潔に説明します

正統主義 ポイント

フランス外相タレーランが主張した、ウィーン議定書の基本原則

★意味

フランス革命をリセットして、革命前の社会に戻しましょう

フランス革命前の社会の姿が、ヨーロッパのあるべき姿(正統)です

 

★影響

ナポレオン戦争によって権力を失った王が各地で復権

→フランスではブルボン家の生き残り ルイ18世が国王となった

ルイ18世=ルイ16世の弟

 

「正統主義」の意義 各国君主から支持された理由

正統主義って革命をリセットするって意味ですよね?

ヨーロッパ諸国の権力者たちがこれを支持した理由を教えてください

各国の権力者たちは、自分の権力を守るのに必死だったからです。

当時の時代背景を見ていきましょう。

 

フランス革命の影響で、フランスは自由で平等な国になりました。

このニュースが各地に伝わり、ヨーロッパ各国の市民の間で

「自由な社会は素晴らしい」

「平等な社会は素晴らしい」

「俺たちも革命で王を倒して、自由で平等な社会をつくろう」

 

他にも、多数派民族から支配を受けていた少数民族たちも刺激を受けました

 

たとえば

ポーランド人「ロシア人の支配から逃れて、自由になろう」

アイルランド人「イギリスの支配から逃れて、自由になろう」

ハンガリー人「オーストリアの支配から逃れて、自由になろう」

 

という形で、「#自由で平等な社会をつくろう」という言葉がトレンドになりました。

 

さて、各国の権力者たちは恐れ始めます

「革命を起こされたら、私の権力はなくなる…」

「少数民族に独立されたら、領土が減る…」

そんな権力者たちのところに、神の一声があったのです

それが「正統主義」でした。

 

「フランス革命前の社会の姿が、ヨーロッパのあるべき姿である」

「フランス革命前の社会のありかたを守ろう」

 

自由主義運動を繰り広げる市民たちに対して、

各国の権力者たちが一致団結して、

「ヨーロッパを自由で平等な社会にはしないぞ」という意思表示をしたのでした。

 

フランス外相 タレーランの意図は?

フランス外相タレーランの目的は、

いったい何だったのですか?

この疑問はいちばん気になるところだと思います(笑)

自分も学び始めたときは混乱しました。

なぜフランス人みずから、あんなに苦労したフランス革命を否定したのか?(笑)

 

でもタレーランの発言の背景には、フランスへの愛があったのです。

タレーランの意図

ナポレオンが負けたせいで、フランスは敗戦国

ウィーン会議では他の国に領土や賠償金をとられるかもしれない

最悪、フランスを他国の支配下におかれるかもしれない。

フランスの生き残りのために、ここは少し芝居を打とう。

 

ここからはタレーラン劇場です。

 

タレーランの思惑

(芝居をうって、同情を買おう)

わたくしタレーランは、敗戦国フランスの代表としてではなく

フランスブルボン家の代表としてここにきました。

 

ブルボン家は奪われてばかりです…

この革命は、我々ブルボン家にとって手痛いものでした。

市民たちが勝手に暴れ出し、当主ルイ16世とその奥方の命が奪われた。

そんなかわいそうなブルボン家の代表として、私はここにきました。

 

私たちブルボン家の望みはただこれだけです!

「フランス革命前の、自由も平等もない時代に戻すこと」

「王家の権力を再び、ブルボン家の手元に戻すこと」

そのために、すべてリセットして革命前の社会に戻したいのです。

 

何度も言いますが、ブルボン家は奪われてばかりです…

 

皆さまはこの会議で話し合って、

敗戦国の我々から領土を奪おうとしているのかもしれません

 

でも、奪われてばかりのかわいそうなブルボン家から、

まだ何かを奪おうとお考えなのですか!?

あなた方は鬼ですか!?

 

それに…

ブルボン家と、会議の主催国オーストリアは血縁関係ではないですか!

(ルイ16世の妻マリ=アントワネットはオーストリアのハプスブルク家出身)

まさか…親戚から領土をとるなんてことはないですよね…?

 

タレーランはこのように

「革命の被害者であるブルボン家」

「ウィーン会議の主催国オーストリアの血縁者としてのブルボン家」

の立場を全面に利用して、同情を買うことで

フランスの領土を守ろうと考えたのです。

 

もちろんフランス国民の努力を否定したタレーランは

フランス国民から石を投げられます。

でも自由と平等を捨ててでも、祖国フランスの領土は守り抜きたかったのです。

実際、フランスは敗戦国でありながら領土を盗られていません。

 

少しひねくれたかっこよさが、タレーランの魅力なのです。

 

「正統主義」によって始まったウィーン体制

先にも述べましたが、当時のヨーロッパの権力者たちは、

自分の権力を守ることで必死でした。

ここから、各国の国内で戦いが始まります。

 

「正統主義」を大義名分として、

古きヨーロッパを守ろうとする保守派(王や貴族などの権力者)と

 

対するは、フランス革命に感化されて、

「自由で平等な社会をつくろう」と意気だっている自由主義者

 

保守派層と自由主義者による戦いの時代を「ウィーン体制」といいます

 

※そもそもウィーン体制って何だよ?って、

まだ気になる人はコチラの記事をお読みください

 

「勢力均衡」意味は? なぜ大事?

正統主義と同じく、ウィーン議定書の基本原則として

勢力均衡」が唱えられました。

勢力均衡 ポイント

★意味:各国の勢力をだいたい同じぐらいに調整しよう

★目的:世界平和を実現するため

★方法:各国の勢力がつり合うよう、植民地や領土の再分割を行う

 

各国のパワーバランスを調整するだけで、

世界は平和になるんですか?

なります。近年でもこの原理ははたらいています。

たとえ話で説明しますね。

 

たとえばここに、仲の悪いAさん・Bさん・Cさんがいるとします。

3人とも戦闘力は53万です。

「戦闘力はケガをすると下がる」という設定でいきましょう。

 

たとえば些細な原因で、AさんとBさんがケンカをしたとします。

勝者はAさんで、負けたBさんは死んだとしましょう。

たしかにAさんは勝ちましたが、Aさんの戦闘力はどうなりますか?

少なくともケガをするので、

戦闘力は下がると思います

そういうことです。

 

 

Aさんの戦闘力が下がると、誰が喜びますか?

Cさんですね。

Aさんが弱ってるから、今なら倒すチャンスですからね!

そういうことです。

 

 

このたとえ話からわかる、各勢力の心理

うかつに誰かとケンカすると、自分が弱ってしまう

「自分が弱ったら、第3の勢力(この話でいうとCさん)にチャンスを与えてしまう

「そのため、うかつに誰かとケンカできないな。」

 

このたとえ話を、国というスケールで考えたのが

勢力均衡の原則」っていうものなんです。

領土の再分割 ポイント

①イギリスはオランダからセイロン島とケープ植民地を獲得

セイロン島はインドの植民地化の話にリンクします

ケープ植民地はイギリスの「アフリカ縦断政策」に関連します。

ケープ植民地はオランダから得たものということは必ず押さえておくこと

 

②オランダはオーストリアからベルギーを獲得

オランダは17世紀に独立戦争をして、ハプスブルク家の支配から逃れましたが

そのすぐ南のベルギーは、オーストリア=ハプスブルク家の所領となっていました。

 

オランダはウィーン会議でイギリスに植民地を与える代わりに

オーストリアからベルギーの領有権を得ました。

 

しかし、ベルギーは1830年に独立戦争を挑み、オランダから独立

レオポルド1世を初代ベルギー国王としました

1837年には永世中立国となりました。

 

③オーストリアは北イタリアのヴェネツィア・ロンバルディアを獲得

オーストリアはベルギーを失う代わりに、

北イタリアのヴェネツィア・ロンバルディアを得ました

 

当時のイタリアは統一されておらず、

小国がバラバラに存在している状態だったので

イタリア人の土地をとられても、大して反論できませんでした。

 

オーストリアによって一方的にイタリア人居住区を奪われたことで

イタリア人のナショナリズムに火がつきます

 

「俺たちはみんなイタリア人だ」

「イタリアの土地を返せ」

という意識が芽生え、

1861年にイタリア統一を実現するきっかけになりました。

 

④ライン同盟を解消 オーストリアを盟主とするドイツ連邦を結成

ドイツもイタリアと同じく、統一されておらず、

小規模なドイツ人国家(領邦)が乱立しているだけでした。

 

ドイツ人の小国はいちおう、ゆるやかな共同体をつくっていました

その共同体の名が

①神聖ローマ帝国(ナポレオン戦争以前)

②ライン同盟(ナポレオンに敗戦後)

③ドイツ連邦(ウィーン会議後)

と目まぐるしく入れ替わっていきました。

 

それぞれのポイントを比較します。

ドイツ人の共同体

神聖ローマ帝国(962年~1806年)

→リーダーは神聖ローマ皇帝(オーストリア=ハプスブルク家から輩出)

 

ライン同盟(1806年~1813年)

→神聖ローマ帝国がナポレオンに敗戦後、ナポレオンを盟主として成立

→ナポレオンがライプツィヒの戦いに敗北し、事実上解体された

 

ドイツ連邦(1815年~1866年)

→ドイツ人の小国のリーダーにオーストリアが復権

オーストリアを盟主として、ドイツ人の小国による共同体を再結成した

→オーストリアの発言権が強く、他国から不満を買っていた

 

ざっとこんな感じです。

とりあえず、ナポレオンの支配を受けていたドイツ人国家たちを解放して

再びドイツ人の共同体として「ドイツ連邦」を結成したということを知っておいてください。

 

⑤プロイセンはラインラントを獲得

プロイセンはラインラントを獲得しました

ラインラントは鉱山資源が豊富で、ドイツの産業革命を支えました

そしてドイツ工業の要地となり、のちの戦争にも関連します。

覚えておきましょう

 

そしてラインラントの位置にも注目しましょう

プロイセン本土から見ると、飛び地になっています。

プロイセンの政治の中心地と、工業の中心地が離れていて

間に他のドイツ人国家が点在しています。

プロイセン本土とラインラントを行き来するためには

その間の国々に通行料(域内関税)を支払う必要があります。

こうした点で、プロイセンは不便を強いられました。

 

この不便を解消するために、

プロイセンは小規模なドイツ人国家を統一して

ひとつの「ドイツ帝国」にすることを目指したのです。

 

⑥ポーランド人国家 ポーランド立憲王国を建国し、ロシアの管理下に置く

ポーランドのポイント

・ナポレオン戦争期につくられたワルシャワ大公国を解体する

・ポーランド人の独立国家 ポーランド立憲王国を建国する

ポーランド国王はロシア皇帝が兼任し、事実上ロシアの管理下に置かれた

 

ポーランドの歴史を復習しながら、解説していきます。

まず結論から言うと、

ポーランドはロシア・プロイセン・オーストリアの支配下に置かれ、

ポーランド人は自分の国を持っていませんでした。

 

しかしナポレオンがロシア・プロイセン・オーストリアの3国を倒しました。

ナポレオンは3国の支配下に置かれていたポーランドを独立させ、

ワルシャワ大公国を築きました

 

ウィーン議定書では、このワルシャワ大公国を解体し、

新たなポーランド人国家 「ポーランド立憲王国」をつくりました。

 

しかし、中身を見るとポーランド人は独立できていません。

ロシア皇帝がポーランド国王を兼ねることになり、

事実上ポーランドはロシアの支配下に置かれました。

 

さっきからロシアにめちゃくちゃ有利じゃないですか?

ロシアはナポレオンのロシア遠征を退け、多大な戦果を挙げました。

ナポレオンを倒したことには、ロシアの功績が大きかったため、

ロシアに有利な条件を認めざるをえなかったのです

なるほど!

 

もちろんポーランド人は不満です

19世紀に、ロシアに対して何度も独立戦争を起こすことになります。

 

⑦スイスを永世中立国とする

その名のとおり、スイスを中立国としました。

 

中立国は自国を防衛する以外の目的では戦争をせず、

他国には侵略しません。

そして軍事同盟にも加盟しない国を指します。

 

なぜスイスを中立国にしたのですか?

大国の間に緩衝地(クッション)をつくるためです!

緩衝地をつくることで、大国同士の軍事衝突を防ぐこともできます

スイスの場合は、オーストリアとフランスの間にクッションを置いたことになりますね。

 

そしてスイスは他国に侵略しないので

スイスの隣国は国境防衛にかかる費用が少し浮きます。

 

その他

・ロシアはスウェーデンからフィンランドを獲得

・ロシアはオスマン帝国からベッサラビアを獲得

・スウェーデンはノルウェーの領有権を得る

 

→少しマイナーなところもありますが、

他の領地と比べると重要度は薄いかと思います。

 

四国同盟と神聖同盟とは? なんのため?

哲学者のカントが、著書「永久平和のために」を執筆し、

国際平和の実現のためには平和維持機構が必要だと述べた

 

ナポレオン戦争によって、ヨーロッパ諸国は国際平和の重要性を痛感し…

平和維持機構として四国同盟神聖同盟を作りました。

四国同盟について詳しく

四国同盟のポイント

イギリス・オーストリア・ロシア・プロイセンの4大国で作られた同盟

②のちに敗戦国フランスが加盟し、五国同盟となった

 

大国の連名で、戦争の火種をつくる国に制裁を加えることで

戦争の火種をなくそうと考えた

 

平和を乱す国に対して国連軍を派遣したり経済制裁を下したり、

いまの国連と近いものがありますね。

 

神聖同盟について詳しく

神聖同盟のポイント

★理念

各国がキリスト教の友愛の精神を持ち、隣国を思いやれば戦争は起こらない

平和を乱す国があれば、神聖同盟軍を派遣して鎮圧する

 

★ポイント

①ロシア皇帝アレクサンドル1世が提唱した同盟

ローマ教皇・イギリス・オスマン帝国は不参加だった

→でもそれ以外のヨーロッパ諸国はすべてが加盟した

 

ローマ教皇・イギリス・オスマン帝国が

参加しなかった理由が気になります

ローマ教皇・イギリス国王・オスマン帝国のスルタンには、共通の特徴があります。

全員「宗教・宗派のリーダー」であることです。

ローマ教皇はキリスト教の元祖 カトリック教会のリーダー

イギリス国王はキリスト教の分派 イギリス国教会のリーダー

オスマン帝国のスルタンはイスラム教の守護者

彼らはリーダーとしてのプライドを守るため、

ロシア主導の同盟には加盟しませんでした

 

ロシアはキリスト教の世界ではどんな存在なんですか?

キリスト教の分派 ギリシア正教会の流れを汲んだ

ロシア正教会のリーダーです

 

いち宗派のリーダーが、

他の宗派のリーダーが言い出しっぺの同盟に参加することははばかられました

こうした理由があって、

ローマ教皇・イギリス・オスマン帝国は神聖同盟には加盟しなかったのです

 

ウィーン議定書の内容はここまで!

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