列強の中国分割(1898年)とジョン=ヘイの門戸開放宣言 語句の意味・ポイント・覚え方をわかりやすく

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てっちり

元 高校世界史教師

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単元解説 日清戦争・義和団事件・日露戦争

この記事からわかること

1898年の中国分割や、

そのさいに発せられた

アメリカ国務長官ジョン=ヘイの門戸開放宣言について

詳しくわかりやすく解説します

 

この記事からわかること

①各国が得た利権まとめ

②なぜこのタイミングで分割が進んだのか?

③用語解説 「勢力圏」と「租借」

④列強各国の得た利権と、その地を得た意図

⑤アメリカの門戸開放宣言 背景・意味・意図は?

 

といったところです

 

「しっかり理解度を深めていきたい」

という人に向けて記事を書きました

 

列強の中国分割

各国が得た利権まとめ

19世紀末ごろ、

欧米列強は清の領土分割を積極的に行いました

 

まとめるとこんな感じです

列強の中国分割 1898年~

・ロシア(南下政策を加速)

東北地方(満州)を勢力圏に置く

→この地に東清鉄道を敷き、シベリア鉄道に接続する

遼東半島南部を25年間租借

旅順要塞を強化し、大連に軍港を建設した

 

・イギリス

①山東半島先端の威海衛を租借

②九龍半島北部を租借

長江流域を勢力圏に

 

・ドイツ

山東省を勢力圏とする

②山東半島の膠州湾(こうしゅうわん)の港【青島(チンタオ)】に軍港を設置

 

・フランス

広州湾を租借

 

・日本

福建省を租借(日清戦争で得た台湾の対岸)

 

 

「中国がピザのように分けられていく…」

 

そして中国の市民は

「欧米列強は危険だ」と

気づき始めたわけなんです

 

これがきっかけで、

中国の市民は欧米列強を危険視し、

義和団事件の発生へとつながっていきます

 

【質問】列強の中国分割が急激に進んだ原因は?

なぜこのタイミングで中国分割が進んだんですか?

理由は2つあります。

 

三国干渉の見返りを要求された

ロシア・フランス・ドイツ

三国干渉(1895年)の際に日本の無理な要求から清を救いました

そしてこの3国は清に見返りを要求したからです

「助けてやったんだから、領土くれ」ってね

 

②外債の支払いが滞っていたから

外債とは外国への借金のことです

 

清は日清戦争に投入する軍事費や

日清戦争で発生したの賠償金の支払い

外債でまかなっていました

 

お金を貸したのは欧米列強

経済的に豊かな国々でした

そして列強は

「お金貸してやってるんだから、もちろん見返りがあるよね?」

と脅しをかけてくるのです

 

清の政府は圧力に耐えきれず、

多くの利権を外国勢力に譲ってしまうのでした。

 

用語解説 勢力圏と租借

勢力圏と租借とは?

①勢力圏

鉱山開発や鉄道敷設などの経済的利権を認めること。

 

②租借

期限付きでその地の占有を認めること

 

租借の方が支配力は強いのですが、

「〇〇年」といった期限付きなのが特徴です

 

各国が得た利権と意図

ロシア

まずはロシアが得た利権から

ロシアの得た利権

東北地方(満州)を勢力圏に置く

→この地に東清鉄道を敷き、シベリア鉄道に接続する

遼東半島南部を25年間租借

旅順要塞を強化し、大連に軍港を建設する

 

当時のロシアは

不凍港(冬に凍らない港)を求めて南下政策を遂行しています

 

最終目標は北海道から順に

日本領に侵攻するといったところでしょう。

そのために東北地方(満州)の利権を得て

その地に東清鉄道を敷設し、

兵士や軍事物資の動員をスムーズにしたかったのです。

さらに遼東半島南部を租借すると、

朝鮮への侵攻の拠点にすることができますし、

遼東半島の大連に軍港を設置すると、

日本侵攻の際の海軍派遣がスムーズになります

 

イギリス

イギリスが得た利権

①山東半島先端の威海衛を租借

②九龍半島北部を租借

長江流域を勢力圏に

 

イギリスが得た利権は少々ややこしいですね

一番簡単なのは

九龍半島北部を租借したことです

九龍半島は香港に隣接する半島で、

イギリス領となっていた香港の利便性を上げるために

イギリスはこの地をもらいました

 

威海衛を得たのはなぜですか?

半島の先端の狭い土地ですけど…

確かに威海衛は山東半島の先端にある地です

イギリスがこの地の利権を得た意図は、

ロシアの南下を阻止するためです

ロシアは遼東半島南部の利権を得て、

そこに大連港を設置

そのままアジア方面へ海軍を進出させるつもりでした

 

ロシアの進撃を阻止するため、

イギリスは威海衛を獲得し、

威海衛に長距離砲を設置しました

 

なるほど

長江流域は?

長江流域を勢力圏にした意図は、

イギリスの植民地 ビルマと接続できるからです

長江流域からビルマに鉄道を伸ばせば、

陸運ができるようになりますからね。

 

ほかの植民地と中国をつなぐ鉄道があれば

中国への輸出や、

万一のときの中国への出兵の際の利便性が上がります

 

この伏線が回収されるのは、

日中戦争のときです

日中戦争の際にイギリスは、

重慶(長江流域)に身を隠していた蔣介石に支援物資を送ります

その際にビルマから支援物資を送りました

このルートを援蔣ルートというようになります

 

ドイツ

ドイツが得た利権

山東省を勢力圏とする

②山東半島の膠州湾(こうしゅうわん)の港【青島(チンタオ)】に軍港を設置

 

ドイツの意図は

「アジア進出の橋頭保が欲しい」

「ロシアの南下を阻止したい」

というところですね

 

ドイツはロシアとしのぎを削っていましたから、

ロシアの南下を阻止しやすい山東半島を得ました

それにドイツは南洋諸島ぐらいしか

アジアの植民地を持っていなかったので

アジア進出の拠点とするため、

もう一つの軍港が欲しかったんでしょうね。

 

特に山東半島の青島では、

第一次世界大戦のときに激戦が起こりますので

よく覚えておいてください

 

フランス

フランスが得た利権

広州湾を租借

 

広州湾は、フランス領インドシナ(ベトナム)の近隣地域です

フランスは広州湾の利権を得て、

フランス領インドシナと接続しました。

 

日本

日本が得た利権

福建省を租借

 

福建省台湾の対岸にある地です

日本は日清戦争の際に台湾を得たのですが、

対岸の福建省も得ることで、

台湾海峡を掌握しました

 

台湾海峡はなぜ重要なんですか?

国防上大切なことです

当時の日本にとって脅威だったのが、

露仏同盟(1891年~)です

 

南下政策を進めるロシアと戦争になった際、

ロシアの同盟国フランスも参戦してくるかもしれません

 

フランス軍が日本に攻め込むとすれば、

フランス領インドシナ(ベトナム)からくるでしょう

ベトナムから出港したフランス軍艦を止めるためには、

台湾周辺の防備を固めることが肝心だったのです

 

ジョン=ヘイの門戸開放宣言

門戸開放宣言とは?

1898年からの約2年間

欧米列強が中国利権を次々に得ていく一方、

アメリカは門戸開放宣言を出し、

欧米列強や日本に呼びかけました

 

門戸開放宣言 ポイント

アメリカ国務長官 ジョン=ヘイが発表した布告

中国の門戸開放・機会均等・領土保全の3原則を主張した

1899年と1900年の2度発表され、

1回目の宣言で門戸開放・機会均等

2回目の宣言で領土保全を追加した

 

3原則のそれぞれの意味もまとめます

3原則のそれぞれの意味

門戸開放

中国利権はひとつの国が独占するのではなく、

すべての国に開かれたものにしましょう

 

機会均等

中国利権を利用する権利は、

すべての国が平等に行使できるようにしましょう

 

領土保全

中国の利権をこれ以上むさぼらないようにしましょう

 

ん、待てよ?

アメリカはひとつも利権を得ていないんですか?

よく気づきましたね

そこにアメリカの意図が隠れています

 

アメリカの状況と意図

門戸開放宣言の意図を一言で説明すると、

「負け犬の遠吠え」です(笑)

 

アメリカは中国利権をひとつも得ることができませんでした

アメリカの心の声はこうです

 

①門戸開放 ②機会均等

→君たちの利権、アメリカも利用したいなー(棒読み)

→みんな平等に利権を使えるようにしようよー(棒読み)

 

③領土保全

→これ以上中国の利権をとらないで

→アメリカの取り分を残しておいて(棒読み)

ということなんです(笑)

 

じゃあアメリカも清に圧力をかけて

利権を得たらいいのでは?

それができなかったんです

当時のアメリカは植民地フィリピンで

アギナルドとの抗争に苦戦していました

 

米比戦争といいます。

アメリカは1898年にスペインとの戦争(米西戦争)に勝利し、

アメリカはフィリピン・グアム・プエルトリコを得ました

 

フィリピンの住民はアメリカの支配に反対し、

アギナルドを中心にアメリカと争いました(米比戦争)

アメリカは苦戦し、

米比戦争は1902年まで続きました

 

当時のアメリカ軍はフィリピンに釘付け状態だったので

中国進出が遅れてしまったのです…

なるほど

 

 

 

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