ドイツ関税同盟はなぜ作られた? プロイセンが中心となったのはなぜ? オーストリアが不参加なのはなぜ? わかりやすく解説

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てっちり

元 高校世界史教師

教室での授業では、限られた人数に対してしか歴史を伝えられないことに物足りなさを覚える。
そしてもっと多くの人に歴史の面白さを伝えるために
教師を辞めてネットで世界史関連のコンテンツを配信するようになった。

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Q&A 疑問の解決

こんな人におすすめ

ドイツの統一について学んでいるのですが、

 

ドイツ関税同盟が難しくてよくわかりません

誰かわかりやすく教えてください

とお悩みの高校生・大学受験生・世界史を学びなおしている社会人の方

この記事からわかること

ドイツ関税同盟に関する疑問にお答えします。

①ドイツ関税同盟 何のために結成?

②リストが提唱する保護貿易とは?

③プロイセンが中心になったのはなぜ?

④オーストリアが不参加なのはなぜ?

などが例です

 

読者の皆さんへのメッセージ

こんにちは。

元々高校の教員をしていました。てっちりです。

 

このサイトでは、

世界史を学ぶうえでの

「わからない。」「なぜ?」に

お答えできるよう、情報を掲載しています。

 

特に近現代史になると、学ぶ概念も難しくなってくるので

生徒からの質問もわんさか飛んできました(笑)

 

そんな、学んで苦戦してきた教え子たちの苦悩と

ひとつひとつの質問に丁寧に答えてきた私の苦悩を無駄にしたくなかったので、

今回は記事としてしたためました!

 

ドイツ関税同盟について

ドイツ関税同盟 ポイント・結成の目的

ドイツ関税同盟 ポイント

★目的

ドイツ経済を発展させるため、ドイツの経済的統一を図った

ドイツ産業革命の障壁を取り払うことで、

プロイセン領ラインラントを中心に、産業革命を実現することが目的

 

★ポイント

経済学者リストの提唱で結成された、ドイツの経済共同体

②イギリスなどの安価な外国製品に関税をかけ、

ドイツの工業製品の保護保護貿易)を約束

③他の領邦を通過したときに発生する域内関税(通行料)を廃止

④中心となったのはプロイセンで、オーストリアは不参加だった

 

ドイツ産業革命の障壁って

具体的に何ですか?

大まかに2つあります

安価な外国製品の流入によって、ドイツ製品が売れなくなること

②ドイツ経済の発展を邪魔していた域内関税(通行料)です

詳しく説明します。

 

経済学者リストの考え 「保護貿易」主義

ドイツの経済学者リストは、

「ドイツ経済の発展には保護貿易が必要だ」と述べました

 

保護貿易とは?

安価な外国製品に関税をかけて、外国製品の流入をブロック。

自国内の製品を保護する貿易のことです。

関税をかけてブロックするターゲットはイギリス製品でした。

 

なぜイギリス製品が怖かったのですか?

イギリスは産業革命を実現していて、モノの製造効率がいいです

だから安く製品をつくることができます。

 

一方でドイツの工業力は低く、イギリスほど安い製品はつくれません。

 

仮にドイツにイギリスの安価な製品が輸入されて

同じ店でイギリス製品とドイツ製品が並んでいたら、どっちを買いますか?

 

みんな安い方(イギリス製品)を買いますね

そうなると、ドイツの工場の経営者はどう思いますか?

どうせイギリス製品ばっかり売れるから

俺は儲からないな

工場をたたむか

 

ってなりますね

そういうことです。

イギリス製品との競争に負けて儲からないから、

工場を経営するメリットがないのです。

 

まずドイツで産業革命を実現するためには、

経営者たちに「ドイツで工場を始めたいな」と思ってもらわないといけません

 

そんな経営者たちに利益をもたらすためには、

外国から入ってくる安価な製品が邪魔でした

だから外国製品に高額な関税をかけて、

ドイツ市場に入ってくるのを防ぐ必要があったのです

 

リストが提唱した保護貿易主義とは、こういうことです。

 

域内関税の廃止

域内関税とは?

他の領邦(ドイツ人の小国)を通る際に発生する通行料のこと

ドイツには大小合わせて数百の領邦があり、

ひとつひとつの領邦に通行料を払わなければならなかった。

 

え、製品を運ぶときの交通費がやばくなりますよね?

そういうことです(笑)

材料や製品を運搬する際に、

他の領邦の土地を通過する必要があるときもあります

いちいちその国々にお金を払ってたら

コストもすごいし、なんせめんどくさい

 

こうした理由で、ドイツ経済を不便にしていたものを廃止したのです。

 

【質問】なぜプロイセンが中心となったのですか?

プロイセンは、上の項目で述べた「域内関税」に悩まされていたからです。

 

まず前提ですが、プロイセンはウィーン議定書で「ラインラント」を得ました

ラインラントは鉱山資源が豊富なので、プロイセン工業の中心になりました

 

しかし、ラインラントはプロイセン本土から離れた飛び地

ラインラントからプロイセン本土に荷物を運ぶためには、

他の領邦を通過するので、通行料を払う必要があります

プロイセンからすると正直言ってめんどくさい

 

こうした不便を解消するため、プロイセンはまず

北ドイツの領邦とプロイセン関税同盟を結び

加盟国をドイツ全土に拡大し、ドイツ関税同盟が成立しました

 

【質問】オーストリアが不参加なのはなぜですか?

理由は大きく分けてふたつあります

①オーストリアにはドイツの覇者としてのメンツがあったから

→プロイセン主導の関税同盟には参加したくなかった

ひとつめは単純な理由です。

 

②ウィーン議定書でベルギーを手放したから、

オーストリアには飛び地がなくなったため

2つ目は少し難しいので図をつけて解説します

 

ドイツ関税同盟ができる前は

他の領邦を通る際に域内関税(通行料)をとられていました

 

これは飛び地を持つ国にとっては不利でした

たとえばプロイセンは本土とラインラントが離れており

本土とラインラントを往復する際に、途中で通る領邦に通行料を支払っていました

この不便を解消するために、プロイセンはドイツ関税同盟をつくり

加盟国間での域内関税(通行料)を撤廃したのでした

 

ウィーン会議以前のオーストリアも同じです

オーストリアはベルギーを領有していたので、

ベルギーとの間を行き来する際に、通行料を払わなければなりませんでした

しかしオーストリアは1815年のウィーン議定書で

ベルギーをオランダに譲りました

これによって、飛び地がなくなったのです。

 

オーストリアにとって、交通の不便はなくなったので

そもそもドイツ関税同盟に参加する意味がなかったのです

 

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