普仏戦争とフランクフルト講和条約 原因と結果をわかりやすく解説

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てっちり

元 高校世界史教師

教室での授業では、限られた人数に対してしか歴史を伝えられないことに物足りなさを覚える。
そしてもっと多くの人に歴史の面白さを伝えるために
教師を辞めてネットで世界史関連のコンテンツを配信するようになった。

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Q&A 疑問の解決

こんな人におすすめ

ドイツの統一や普仏戦争について学んでいるんですが

難しくてよくわかりません。

誰かわかりやすく教えてください。

とお悩みの高校生・大学受験生・世界史を学びなおしている社会人の方

 

この記事からわかること

①普仏戦争 なぜフランスと戦争する必要があるのか?

②普仏戦争の原因・経緯・結果

③講和条約の内容

④ドイツ統一の完成 フランスへの勝利とドイツの因果関係は?

 

こうした疑問にお答えします。

読者の皆さんへのメッセージ

こんにちは。

元々高校の教員をしていました。てっちりです。

 

このサイトでは、

世界史を学ぶうえでの

「わからない。」「なぜ?」に

お答えできるよう、情報を掲載しています。

 

特に近現代史になると、学ぶ概念も難しくなってくるので

生徒からの質問もわんさか飛んできました(笑)

 

そんな、学んで苦戦してきた教え子たちの苦悩と

ひとつひとつの質問に丁寧に答えてきた私の苦悩を無駄にしたくなかったので、

今回は記事としてしたためました!

 

 

普仏戦争

普仏戦争 ポイント

★背景

スペイン王位継承権問題でフランスとプロイセンが対立

フランスとの交渉の過程で、プロイセンはエムス電報事件でフランスを挑発

→激怒したフランスがプロイセンに先制攻撃をして、戦争が始まる

 

★結果

スダンの戦いでフランス皇帝ナポレオン3世が捕虜となり、フランスは敗北

フランクフルト講和条約でフランスはプロイセンに莫大な賠償金を支払い

→加えてフランスはアルザス・ロレーヌをプロイセンに割譲した

 

 

【質問】なぜフランスと戦争をする必要があるのか?

主に理由は2つあります。

フランスと戦争する理由

フランスはドイツ統一を嫌がり、妨害工作をしてくるだろうから

大国フランスの脅威をあおれば、ドイツ人に団結を促せるから

 

フランスがドイツ統一を邪魔したがるのはなぜですか?

フランスはドイツがバラバラの方が安心だからです。

フランスからすると、隣の国がバラバラで弱い方が、国境警備が楽です

でもプロイセンがドイツを統一してしまうと、

隣に「ドイツ人オールスターズ(仮)」という巨大な勢力が現れてしまう

強大な国が隣にいると、もちろん国境警備は大変です

だからフランスはドイツの統一を未然に防ぎ、統一を邪魔しようとしました。

そんなフランスを黙らせない限りは、ドイツ統一は成功しません

フランスとの戦争は不可欠だったのです。

 

それにフランスという強大な敵が攻めてきたら、

ドイツ人は団結します。

「ナポレオンのときみたいに、今度は負けないぞ」

「我らドイツ人の力を合わせて、フランスを倒すぞ!」

ってね

 

フランスに負ければえらい目にあわされます。

フランスとの戦争にはリスクがありますが、

同時にドイツ人の心をまとめるチャンスでもあったのです。

 

普仏戦争が始まる1870年時点では、

バイエルンなどの南ドイツ諸国を

プロイセンの配下につけることができていませんでした

プロイセンからすると、

何としても南ドイツ諸国を統一ドイツに引き入れたかったので、

フランスとの戦争がそのチャンスだったのです。

 

【戦争の原因①】スペイン王位継承問題

フランスとプロイセンの対立の火種はスペイン王位継承問題です

スペイン王位継承権問題

スペイン=ブルボン朝が革命によって打倒された

→スペイン新政府は内政安定のために立憲君主制を敷こうとし、新国王を探していた

→ビスマルクはプロイセン王家ホーエンツォレルン家の血縁者をスペイン国王に推薦

→フランスがこれに反発し、プロイセンと対立した

 

いろんな国が出てきて難しいですね

詳しくお願いします

スペインではブルボン家の女王イザベル2世の治世でした

イザベル2世は政治と外交の両方でやらかしてしまい、国民からの人気はゼロでした

そんなイザベル2世に対してスペイン国民が反乱を起こし、イザベル2世は亡命したのです

 

スペインは国王不在の状態になり、新政府が立ち上がりましたが、

新政府の中で権力争いが起こり、政権基盤は全く安定しませんでした。

そこでスペインの新政府は

中立の立場をもつ国王をトップに据え、

泥沼の争いをおさめるリーダーを擁立しようと考えたのです

 

プロイセン首相ビルマルクはこの好機を逃しませんでした。

ビスマルクはスペイン新政府の役員を金で買収し、

プロイセン王家のレオポルトをスペイン国王に推薦したのです

買収されたスペイン新政府もこれを飲みました

しかし、フランスが抗議したのです

 

プロイセン王家がスペイン王位を継ぐ

 

フランスはなぜ嫌がるのですか?

地図で位置関係を見ていきましょう

スペインが親プロイセン派の国になってしまうと、

フランスはスペイン領とプロイセン領に挟み撃ちにされてしまいます。

フランスにとって具合が悪いことになってしまうのです。

 

スペイン王位継承問題はまだまだこじれます。

 

【戦争の原因②】エムス電報事件

エムス電報事件

フランスの外交官とプロイセン国王ヴィルヘルム1世の交渉において、

フランスの外交官が無礼を働いたという偽の報道を、ビスマルクらが流した

→メンツをつぶされたフランス皇帝ナポレオン3世が激怒し

フランスはプロイセンに宣戦布告した

 

詳しく説明します

プロイセン国王ヴィルヘルム1世は、

「エムス」という田舎の温泉街で静養をしていました

 

そこにフランスの外交官が訪れ、ヴィルヘルム1世に交渉しました

「国王陛下、スペイン王位継承を撤回していただけませんか?」

「我が国の皇帝、ナポレオン3世がお怒りです」

 

あまりにもしつこく交渉を持ちかけられたので、

ヴィルヘルム1世はさすがに面倒だと思ってこう言いました

「わかったわかった。」

「口約束だけれども、スペイン王位継承は撤回する。だから帰りたまえ。」

 

「いい成果を得られた」と思い、フランスの外交官は帰国しました

 

ヴィルヘルム1世はこの事実を、ビスマルクら政府首脳に電報で伝えました

 

ビスマルクや軍の参謀総長モルトケは思います

「マジか、国王陛下なにやってんだよー…!」

 

しかしここでビスマルクがひらめきます

「これはチャンスではないか?」

 

ビスマルクは国王からの電報の内容を改ざんして、

報道機関に提供したのです(笑)

 

◇改ざん前

フランス大使がプロイセン国王ヴィルヘルム1世閣下の元を訪れた

「スペイン王位継承を撤回してください」と迫るフランス大使に対し

 

ヴィルヘルム1世閣下は

「わかった。スペイン王位継承を撤回する。だから帰れ。」と伝えた

 

◇改ざん後

フランス大使がプロイセン国王ヴィルヘルム1世閣下の元を訪れた

「スペイン王位継承を撤回せよ」と迫る無礼なフランス大使に対し

 

ヴィルヘルム1世閣下は「帰れ。」と伝えた

 

フランス大使が無礼を働いたことが協調されてますね(笑)

ビスマルクはこのニュースを電報で報道機関に伝え、

プロイセン国民に新聞がばらまかれました

他のドイツ領邦にも新聞を通じて伝わり、

 

ドイツ人たちの間で

「フランス大使は無礼だ!けじめをつけさせろ!」

「ヴィルヘルム閣下、素晴らしい対応です!」

という世論があふれました

 

フランスのナポレオン3世は、

「うちの外交官が言っていることと話しが違うぞ」

「悪質な情報操作でフランスをおとしめるとは許さん!」

として、プロイセンに宣戦布告したのでした

 

この戦争では、

「フランスがプロイセンに先制攻撃した」という事実を覚えておきましょう

 

フランスとプロイセンが戦うということは

両国の間にあるバイエルンなどの南ドイツ諸国も

戦争に巻き込まれていきます。

 

南ドイツ諸国はフランス軍に我が領土を通させまいとして反抗

プロイセンと結び、フランスに応戦しました。

フランスに先制攻撃させて、

フランスの脅威をあおったら

 

ドイツ人の結束が深まるというわけですね!

 

普仏戦争の戦況~スダンの戦い

国力はフランスの方が圧倒的に上でしたが、

戦争はプロイセン有利に進みました

 

プロイセン軍が有利だった理由は2つあります

電信機を軍に導入していたため、軍の動きがスムーズだった

→対するフランス軍は、伝書鳩で連絡を取り合っていたから

 

②フランスは世界中に植民地を展開しており

→軍を世界各地に分散していたから

 

フランス軍が緒戦で敗戦を重ねる中、

フランス皇帝ナポレオン3世は自ら軍を率いてプロイセン軍と対峙します

 

プロイセン軍とフランス軍はスダンでぶつかります。(スダンの戦い

 

プロイセン軍は参謀総長モルトケの指示のもと、

電信機を用いて迅速に指令を出し、

瞬く間にフランス軍を包囲しました

もはやフランス軍に勝ち目はありません。

 

フランス皇帝ナポレオン3世は部下から申し出を受けます

「皇帝陛下、軍人として誇り高く死なせてください」

「私たちがプロイセン軍に突撃し、包囲を破ってみせます」

「皇帝陛下は生きのびてください」

 

ナポレオン3世は少し考えます

「私が『戦え』と言えば、数10万の若者の命が失われる」

「私が降伏すれば、多くの命が守られる」

そしてナポレオン3世は決断します。

 

「お前たちは若い。生きろ。」

 

そしてナポレオン3世はプロイセン軍に降伏し、

プロイセンの捕虜になります

ビスマルクはこの時点で講和するつもりでしたが、

ナポレオン3世が捕虜になったあとも、

フランスはプロイセン軍への抵抗をつづけました

 

最終的にプロイセン軍はフランス首都パリを包囲し、

その時点でフランス政府はようやく降伏しました

 

フランクフルト講和条約

普仏戦争の戦後処理として、講和条約が結ばれました

結果はプロイセン軍の圧勝だったので、プロイセンが非常に有利です

フランクフルト講和条約

①フランスはプロイセンに賠償金を支払う

②フランスはプロイセンにアルザス=ロレーヌを割譲する

 

アルザス=ロレーヌとは、鉱山資源が豊富な土地です

この地と賠償金を得て、プロイセンは工業力をさらに発展させていきました。

 

ドイツ帝国の成立

1871年 ドイツ皇帝の戴冠式が行われました

国の名をドイツ帝国

初代皇帝はヴィルヘルム1世(ホーエンツォレルン家)

皇帝の戴冠式は、占領したフランスのヴェルサイユ宮殿で行われました

 

フランス人からすると屈辱でしかありません。

「歴史あるフランスの宮殿で、異国のドイツ皇帝の戴冠式をするとは…」

プライドを踏みにじられたフランス国民は

プロイセンへの復讐を誓うのでした…!

 

【質問】フランスに勝ったあといきなりドイツが統一されました なぜですか?

ドイツ統一の最後の課題は、

バイエルン王国などの南ドイツ諸国をプロイセン側につけることでした

フランスとの戦争の過程で、この課題が解決されたからです。

 

バイエルンなどがプロイセン側についた理由は…

 

①フランスがドイツ(プロイセン)に先制攻撃をしてきたから

フランス軍がプロイセン領を攻撃するためには、

バイエルンなどの南ドイツ諸国の領土を通過します

南ドイツ諸国からすると、自国の危機です

南ドイツ諸国はプロイセンと結び、フランス軍を退けようと考えました

 

②フランスに勝利したプロイセンの実力を、さすがに認めたから

 

この2点が理由ですかね。

フランスと戦争し、フランスに勝利したことが

ドイツ統一のいちばんの決定打でしょう

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