キューバ危機の背景・経緯・結果 世界史教師がわかりやすく解説【東西冷戦】

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てっちり

元 高校世界史教師

教室での授業では、限られた人数に対してしか歴史を伝えられないことに物足りなさを覚える。
そしてもっと多くの人に歴史の面白さを伝えるために
教師を辞めてネットで世界史関連のコンテンツを配信するようになった。

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こんな人におすすめ

冷戦の歴史

とくに米ソが核戦争の危機に陥った

キューバ危機について学んでいます

 

その背景や、実際起こったできごとなどを

わかりやすく解説してくれると助かります

とお悩みの学生・社会人の方

 

この記事からわかること

・キューバ危機の背景

・キューバが重要なのはなぜ?

・キューバ危機 何が起こった?

・キューバ危機 結末は?

 

 

読者の皆さんへのメッセージ

こんにちは。

元々高校の教員をしていました。てっちりです。

 

このサイトでは、

世界史を学ぶうえでの

「わからない。」「なぜ?」に

お答えできるよう、情報を掲載しています。

 

特に近現代史になると、学ぶ概念も難しくなってくるので

生徒からの質問もわんさか飛んできました(笑)

 

そんな、学んで苦戦してきた教え子たちの苦悩と

ひとつひとつの質問に丁寧に答えてきた私の苦悩を無駄にしたくなかったので、

今回は記事としてしたためました!

 

キューバ危機とは?(簡潔に)

キューバ危機とは、

1962年にキューバで起こった、

米ソ核戦争の危機を招いたできごとです

 

1960年代、キューバに親ソ政権が樹立されました

当時のソ連はアメリカと世界の覇権をめぐって争っており、

東西冷戦を繰り広げていました

 

そしてソ連はキューバに核ミサイルを配備したのです

 

キューバはカリブ海に浮かぶ島国で、

アメリカ本土のすぐ南に位置します

アメリカ近辺に敵国の核ミサイルが配備されれば、

アメリカ国民の生活は危ぶまれます

 

アメリカはソ連の動きに危機感を感じ、

キューバ周辺の海域を海上封鎖しました

 

もちろんソ連はこれに反発し、

アメリカの海上封鎖を突破するため、

艦隊を派遣しました。

 

こうしてキューバ近海で、

米ソ両国の海軍による武力衝突が起こりそうになりました

 

最終的にはソ連が譲歩し、

キューバへのミサイル配備を中止する形で幕を閉じました

 

当時のソ連首脳はフルシチョフ

アメリカ大統領は民主党のケネディでした

 

キューバ危機の背景

キューバ危機が起こるまでのステップを

細かく区切って解説していきます

 

1962年のキューバ危機に至るまでの

キューバの動向をまとめました

 

キューバは旧アメリカ勢力圏

キューバはサトウキビの産地として有名でした

 

キューバはスペインの植民地となっていましたが、

アメリカがスペインからキューバを強奪

 

それからはアメリカがキューバを実効支配していました

 

1930年代になると、

アメリカは世界恐慌に見舞われて財政が悪化

 

植民地への駐屯軍を減らさざるを得ず、

キューバの独立を認めました

 

独立後のキューバの首脳には、

親米派の軍人 バティスタが就任

 

バティスタ政権はアメリカとズブズブな関係で、

アメリカの経済会とも癒着し、

政治が腐敗していました

 

さらにキューバでは

独立後もアメリカ人地主の影響力が強く残り、

アメリカ人地主がキューバの農地の所有権を持ち、

サトウキビ農園を営んでいました

 

キューバの小作人は安月給で雇われ、

貧しいくらしを送っていたのでした

 

1959年 キューバ革命 親米政権の崩壊

1959年 キューバ革命が発生します

中心人物は社会主義者フィデル=カストロ

 

親米派バティスタ政権の政治腐敗や

そしてアメリカ人地主による横暴に怒り、

キューバ国民を率いて蜂起しました

 

革命は実り、

カストロはバティスタ政権の打倒に成功

 

新たにカストロ政権が樹立されました

 

1961年 カストロの社会主義宣言

カストロはソ連に似た社会主義政策を実行

アメリカ人地主の土地を没収し、

小作人に分け与えました

 

当然アメリカは怒り、

キューバをOAS(米州機構)から除名しました

※補足 OAS(米州機構)とは?

アメリカを中心に、

南北アメリカ大陸の国々で結成された

反ソ(反共)軍事同盟

バティスタ政権時代のキューバはOASに加盟していた

 

キューバは文字通り、アメリカの敵になります

 

キューバのカストロは、

アメリカに対抗するためにソ連に接近します

1961年、カストロ社会主義宣言を行い、

ソ連との提携を表明しました

 

1962年 キューバ危機

キューバは「アメリカの裏庭」と言わんばかりの位置にあります

この立地条件に目を付け、

ソ連のフルシチョフ書記長は、

キューバへのミサイル配備計画を立てました

 

ソ連は早速、

キューバにミサイル基地を設置し、

そこに核弾頭とミサイルを運搬しました

 

これはアメリカにとって危機的状況です

キューバからソ連のミサイルが発射された場合、

首都ワシントンDCや、

金融の中心地ニューヨークに届きます

アメリカ国民の生活が危機にさらされるのです

 

アメリカのケネディ大統領は即座に対応し、

キューバ近海の海上封鎖を命じます

 

ソ連もこれに抵抗

軍艦を派遣して、アメリカの海上封鎖を破ろうとしました

 

こうしてキューバ近海で

米軍・ソ連軍の衝突の危機が生まれました

結果はどうなったんですか?

アメリカとソ連の首脳による交渉が行われ、

武力衝突は回避されました

 

交渉はこんな形で決着がつきます

キューバ危機 両国の交渉結果

ソ連はキューバからミサイルと基地を撤去する

その代わりに、

アメリカはトルコに配備しているミサイルを撤去する

 

え、アメリカもソ連の近くにミサイルを置いていたのですか??

はい

アメリカはソ連に必死に抗議していますが、

実はアメリカは、

ソ連よりもずっと先に、

ソ連に嫌がらせをしているんですよ。

 

キューバ危機は最終的に

ソ連が譲歩して終わりを迎えましたが、

ソ連もただでは引き下がりません。

トルコに配備されていた米軍のミサイル基地を撤去させました

 

トルコからソ連の首都モスクワにミサイルを飛ばすと

届いてしまいます

これはソ連にとって危機的状況でした

 

ソ連はキューバからのミサイル撤去の交換条件として、

トルコの米軍ミサイルの撤去を持ち出したのです。

 

※米軍のミサイルの在り処

当時の米軍はソ連への対抗上、

イタリアとトルコにミサイルを配備していました。

 

1963年 ホットラインの開通

米ソ核戦争の危機を反省し、

両国の間で突発的な戦争が起こらないように、

工夫がなされました

 

そこで、緊急交渉用の直通電話回線が

米ソ間でつながれることになったのです

それが「ホットライン」です

 

これによって、

米ソの首脳がすぐに交渉することができるようになったのです

 

このホットラインですが、

近年では日本と中国の間に築かれようとしています

2023年春ごろに運用開始予定のようです

 

中国の台湾侵攻のリスクが高まるなか、

日本・台湾近海で突発的な紛争が

起きてしまう可能性があります

 

戦争は思いもよらない理由から、

突然始まります

 

両国の勘違いによって戦争に発展することもあるので、

外交には細心の注意が必要です。

突発的な紛争を防ぐために、

ホットラインは重要な役割を果たすのです。

 

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