こんな人におすすめ
・朝鮮戦争とは?(簡潔に)
・朝鮮戦争の背景 ~米ソによる代理戦争~
・朝鮮戦争の経緯と結果 ~開戦から休戦までの流れ~
具体的にこんな人におすすめです
現代史を学んでいます
朝鮮戦争について学習しているのですが、
戦争の背景
勢力関係
戦争の流れなどについて詳しく知りたいです
とお考えの学生・社会人の方
記事の信ぴょう性
もと高校世界史教諭
誰でも世界史を楽しく、
わかりやすく学べるように、
現在はネットで歴史系コンテンツを配信しています。
教室で数人に向けて授業をするよりも、
ネットの方がはるかに多くの人に情報を発信でき、
役に立つことができると思い、この道を選びました
このサイトでは、
世界史を学ぶうえでの
「わからない。」「なぜ?」に
お答えできるよう、情報を掲載しています。
てっちりとともに、学習をがんばりましょう!
朝鮮戦争とは?(簡潔に)
朝鮮戦争(1950年~53年)は、
北朝鮮と韓国による戦争です。
北朝鮮をソ連・中華人民共和国などの社会主義陣営が支援
韓国をアメリカなどの資本主義陣営が支援したことで、
戦争は泥沼化しました。
アメリカとソ連による「冷戦」の象徴といえる戦争です。
1953年に板門店で休戦協定が結ばれ、
それからは「休戦状態」という扱いになりました。
この記事では、
朝鮮戦争の背景から結末まで、
一連の流れを詳しく解説していきます!
朝鮮戦争の背景
米ソの陣取り合戦 「東西冷戦」
1945年 第二次世界大戦の終戦以降、
アメリカとソ連の間で「冷戦」と呼ばれる状態がつづきました
アメリカを中心とする資本主義陣営と
ソ連を中心とする社会主義陣営による陣取り合戦
アメリカやソ連は世界各地で影響力を発揮し、
各地で親米政権と親ソ政権による紛争が発生しました
アメリカ軍とソ連軍は直接戦うことはなかったものの、
水面下で静かに争っていたことから「冷戦」と呼ばれる
冷戦という時代背景のもと、
アメリカは資本主義国陣営の国を増やすため、
ソ連は社会主義陣営を増やすために暗躍しました
その舞台となったのが朝鮮半島でした。
戦後の朝鮮半島は南北に分断
戦前の朝鮮半島は、
韓国併合以来、日本の勢力下にありました
日本の敗戦後、朝鮮は独立を達成
朝鮮には新政権が建てられることになりました。
さてここで問題が発生します
「独立後の朝鮮を資本主義国にするか、社会主義国にするか」
アメリカとソ連の意見が対立してしまうのです。
そこで米ソが揉めないように、
北緯38度線を境に朝鮮半島を南北に分断
北半分をソ連がプロデュースする社会主義国家に
南半分をアメリカがプロデュースする資本主義国家にする
という案が採用されました
こうして朝鮮半島は南北に分けられ、
米ソの軍政下におかれることになりました。
戦後の朝鮮半島の情勢をまとめます
★北部(朝鮮民主主義人民共和国)
首都:平壌
指導者:金日成(朝鮮労働党)
支援者:ソ連を中心とする社会主義陣営
★南部(大韓民国)
首都:ソウル
指導者:李承晩
支援者:アメリカを中心とする資本主義陣営
★両国首脳の人選
両国の首脳となった金日成と李承晩は、
日本統治下の朝鮮で、
日本に対する抵抗運動をおこなっていた人物です。
ということから、朝鮮の人々からは多少なりとも人望があります。
金日成は1932年~45年まで抗日闘争を指揮し、
「日本軍と10万回の戦闘を繰り広げ、すべて勝利した」
らしいです(笑)
単純計算すると
1日で20回ほど戦っていることになるのですが…
本当なんですかね(笑)
李承晩も抗日闘争を繰り広げた人物です。
李承晩は戦時中、
上海に「大韓民国臨時政府」を作り、
抗日活動を展開していました(金日成ほど前線では戦っていません)
★南北の国力
北と南、どっちが強いんですか?
戦後すぐの時期は、北朝鮮の方が圧倒的に強いです
戦前の日本軍は、
北のソ連からの侵攻を食い止めるために、
満州と朝鮮半島北部を優先的に強化していました
一方で朝鮮半島南部はあまり開発されておらず、
南の方が弱い状態だったのです。
スタート地点でいうと北朝鮮が有利ってところですね
なので朝鮮戦争の前半は
北朝鮮が連勝を重ねることになります。
金日成 スターリンに直談判
金日成はソ連の指導者スターリンに直談判しました
金 日 成:「韓国に迎撃準備が整う前に、併合してしまいましょう」
スターリン:「いい案だが、アメリカが黙っていないぞ」
金 日 成:「アメリカが韓国の守りを強化すれば、チャンスは永遠になくなります」
スターリン:「いいだろう。乗った。ソヴィエトはひそかに支援物資を送ろう。」
こうしたやりとりの末、
金日成は韓国侵攻の際に、
ソ連からの支援を得ることに成功します
そして1950年6月
北朝鮮が韓国領に突然攻め入りました
朝鮮戦争 流れ
1950年6月 開戦
1950年6月 北朝鮮が38度線を突破
韓国領に侵攻を開始しました
突然のことでした
北朝鮮はソ連式の装備をゆずり受け、
戦闘を優位に進めました。
北朝鮮の奇襲によって韓国軍は総崩れ。
北朝鮮の軍勢は瞬く間にソウルに近づきました。
ソウル陥落 李承晩の釜山退避
北朝鮮軍が首都ソウルに迫る中、
韓国の李承晩は首都ソウルを夜中に脱出しました
そして李承晩は北朝鮮軍の侵攻を遅らせるため、
漢江の橋を爆破させました
北朝鮮軍がソウルに迫る中、
ソウル市民もソウルを脱出しようとしました
ソウルから出るためには漢江を渡らなければならなかったのですが、
李承晩が漢江の橋を落としていたので、
多くのソウル市民が逃げ遅れました
李承晩はその後、
首都を「水原」に移すと宣言し、
北朝鮮が「水原」に向けて進撃するように誘導しました。
しかし当の本人は「水原」で陣頭指揮をとらず、
最終的に釜山に逃げ延びたのです。
結局、水原は李承晩が助かるための囮にされてしまいました
李承晩の人気がないのは、こうした無責任な態度が原因です。
朝鮮戦争終結後、李承晩政権へのデモが起こり、
李承晩は失脚してしまうことになります。
北朝鮮の進撃はとまらず、
北朝鮮は朝鮮半島のほとんどを制圧。
残るは釜山のみでした
1950年9月 国連軍の参戦
北朝鮮による進撃は止まらず、
アメリカが焦ります。
「このままでは、朝鮮半島は社会主義国家になってしまう…」
アメリカは国連を使って、
朝鮮半島への出兵を試みました
そして韓国を助け、北朝鮮を退けようとしたのです
国連安保理の会議で、
韓国の支援と国連の派遣が議題に上がりました
国連安保理で常任理事国が承認すれば、
国連軍を朝鮮半島に送ることができます。
常任理事国であった
アメリカ・イギリス・フランス・中華民国(台湾)は
韓国への支援に賛成
北朝鮮側にたっていたソ連は、
会議を欠席していたため棄権扱いになりました
常任理事国が拒否権を発動することなく、
賛成4・棄権1で国連軍の派遣は可決されました
1950年9月 国連軍が朝鮮半島に上陸しました
そして各地で北朝鮮軍を圧倒し、
韓国の領土を取り戻していきました
国連軍と韓国軍は、
38度線を越えて北朝鮮領に進撃
首都平壌を陥落させ、
北朝鮮が滅びる…
と思ったそのとき、
謎の軍勢が国連軍の前に立ちはだかりました
1950年10月 中国義勇軍の参戦
1950年10月
北朝鮮が滅亡のピンチに立つ中、
中国義勇軍が北朝鮮側で参戦しました
中国義勇軍は人海戦術で国連軍を押し返し、
北朝鮮の領土を次々に回復させていきました
なぜ中国が参戦してきたのですか?
中国では1949年に「中華人民共和国」が成立しました
中華人民共和国では共産党が政権を担当
つまり中国はソ連側に立つ社会主義国なのです
さてこのたび、
国連軍の支援を受けて、
韓国が北朝鮮を滅ぼそうとしています。
韓国が朝鮮半島を統一してしまえば、
アメリカ側の息がかかった国が、
中国と隣り合うことになります。
社会主義陣営の中国からすると、
資本主義陣営と隣り合うのは避けたい
こうした気持ちから、
同じ社会主義陣営に立つ北朝鮮を助けたのでした。
義勇軍って何ですか?
正規軍はこなかったのですか?
「義勇軍」とは、
「政府の命令ではなく、市民が自らの意志で志願した軍」のことを指します
つまり中国は
正規軍を派遣せずに、
市民が自らの意志で志願した「義勇軍」を派遣した
という形になります。
でも義勇軍の実態は、中国の正規軍でした。
それを義勇軍と偽って、北朝鮮に派遣したのです
なぜそんな面倒なことをしたのですか?
中国政府への批判を避けるためです。
「中国の正規軍が北朝鮮を助けた」
となってしまうと、
国連が中国の敵にまわることになります。
そこで中国政府は
「市民たちが勝手に義勇軍をつくり、北朝鮮を助けた」
「中国政府は別に命令をしていない」
と言ってカモフラージュしたのでした
こうすれば、
市民が勝手に北朝鮮を助けただけで、
中国政府は関与していないことになり、
アメリカ側からの批判を避けることができます
当然アメリカは気づいていますけどね。
マッカーサーの罷免
国連軍の最高司令官 マッカーサーは
北朝鮮を支援している中国に怒り、
中国への核攻撃を主張しました
マッカーサーの発言はさすがに過激だったため、
アメリカのトルーマン大統領が止めに入りました
マッカーサーは退かなかったため、
大統領と意見が対立。
マッカーサーは罷免されてしまいました。
1953年 板門店休戦協定
中国義勇軍の支援を受けて、
北朝鮮軍は次々に領土を巻き返していきました
こうして朝鮮戦争は泥沼化し、
終戦のきざしが見えなくなってきました。
そんな状況で転機が訪れます
1953年3月 ソ連の指導者スターリンが死去
反米強硬派のスターリンが亡くなり、
資本主義陣営と社会主義陣営の対立が
少しずつ緩和されていきます
そんな中で、
朝鮮戦争の休戦についての協議が
おこなわれるようになりました
そして1953年7月
南北国境の板門店で休戦協定が成立
北緯38度線を軍事境界線と定め、
朝鮮戦争は休戦状態になりました
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