こんな人におすすめ
フランス革命を学んでいますが、難しくてよくわかりません。
丁寧にわかりやすく説明してください。
とお考えの学生の方、受験生の方、世界史を学びなおしている社会人の方
フランス革命中の出来事を細かく区切り、
ひとつひとつのできごとについて詳しくわかりやすく説明していこうと思います。
★できごと:旧体制(アンシャン=レジーム)・三部会・国民議会
★人物:テュルゴー・ネッケルシェイエス・ラ=ファイエット・ミラボー など
フランス革命によって、フランス社会の何が変化したのかについては、
前回の記事をご参考にしてください。
フランス革命の背景
フランスの社会に矛盾を感じていた市民たちの怒りの感情が吹き出し、
フランス革命が起こりました
市民の怒りが頂点に達した原因は多々あります。
代表的なものを挙げるとすれば…
①火山の噴火による食糧危機と物価高騰
②イギリスとの植民地抗争での財政赤字
→赤字解消のために、市民にかけられた重税
③旧体制(アンシャン=レジーム)への不満
第一身分(聖職者)や第二身分(貴族)が優遇されている不平等な社会や
「特権身分」とされた、教会や貴族からの搾取
といったところになります。
ひとつひとつひも解いていきましょう。
①火山の噴火による食糧危機と物価高騰
1783年、アイスランドのラキ山が噴火しました。
遠く離れたアイスランドでの噴火ですが、
大量の火山灰がヨーロッパの空を覆いました。
空を舞う火山灰は太陽の光をさえぎり、ヨーロッパでは深刻な冷害が発生…
結果として穀物が実らず、フランスを含めたヨーロッパの広範囲で食糧危機が起こりました。
穀物が足りなくなると、穀物の価格は上がります
コロナ禍でマスク不足になったときに、マスクの価格が上がったのと同じ原理です
フランスの貧民しい市民たちは焦りました
「穀物が高すぎて買えない…」
「このままでは家計が成り立たない…」
こうした社会不安が、市民たちを革命へと突き動かしていきます。
※穀物価格が高騰していることをおさえておけば、
フランス革命政府がおこなった政治への理解度が深まります。
ぜひとも覚えておいてほしい。
②イギリスとの植民地抗争での財政赤字
18世紀以来、イギリスとフランスは
インドとアメリカ大陸で植民地抗争を繰り広げていました。
もちろん戦争には莫大なお金が使われます。
何度も戦争を繰り返せば、たちまち国家予算は赤字になっていきました。
そんなフランスの財政にとどめを刺したのが、1770年代のアメリカ独立戦争への介入です。
アメリカ合衆国はイギリスからの植民地支配から逃れるために、独立戦争を展開
ライバル国のイギリスを弱らせる好機とみて、フランスはアメリカ合衆国を支援しました。
※アメリカの独立成功後、フランスがアメリカに自由の女神像を贈ったのは、
このときに築かれた友好関係があったからです。
結果としてアメリカは独立して、宗主国イギリスの国力はダウンします
ライバル国が弱体化して、フランスにとってはうれしいシナリオですが…
ここに至るまでにフランスはお金を使いすぎた…
フランス政府は市民から税をとりたて、財政赤字をしのごうとしました。
さて、このときの課税方法をめぐって、フランス国内で不満の声がわき上がることになります…!
③④超不平等社会 旧体制(アンシャン=レジーム)への不満
革命前のフランス社会では身分制度があり、実に不平等な世の中でした。
①国王
②第一身分(聖職者)
③第二身分(貴族)
④第三身分(平民)←全人口の98%が該当
※第三身分(平民)は大きく2つにわかれる
都市の富裕な平民を「ブルジョワジー」・貧農を「サンキュロット」と呼んだ
革命の中心となったのは④の平民でした。
それぞれの身分を解説しながら、平民が抱いていた怒りの原因をひも解いていきましょう
①国王 ルイ16世
国王はブルボン家のルイ16世
悪い言い方をすると「優柔不断な王様」
良い言い方をすると、「周囲の声にちゃんと耳を貸す王様」といったところでしょうか
ブルボン家の国王は、代々「絶対王政」を敷いていました
周囲の意見に耳を貸さない国王も多く、その証拠として
フランスの議会「三部会」は1614年のルイ13世の治世以来
いちども開かれていませんでした。
ルイ16世は周囲の声に耳を傾ける国王だったので、
1789年、175年ぶりに三部会を開催しました。 詳しい内容はのちほど
妻はマリー=アントワネット(オーストリアのハプスブルク家からブルボン家に嫁いだ)
植民地抗争への出費
ヴェルサイユ宮殿での貴族への接待に多額の予算が必要で、
国家予算はもはやピンチ
→結果として、平民に課税したり、貴族や教会からの借金でまかなうこととなりました。
②第一身分(聖職者)
フランス社会における特権身分
大まかにフランス国内のカトリック教会の職員を「聖職者」と呼ぶ
・聖職者は免税特権を持ち、国王から税を課されない
・農民から(※)十分の一税を徴収する権利を持っている
※農民が得た収穫の10%を、教会へ支払う税として徴収できる
③第二身分(貴族)
莫大な財産を持つ世襲の貴族
大規模な土地を持つ領主でもあり、
少人数でフランス国内の40%の土地を独占していた
・貴族は免税特権を持ち、国王から税を課されない
・小作人(=自分の土地を持たない農民)に農地を貸し出し
→小作人から封建地代(土地のレンタル料金)をとっていた
・領主裁判権を持ち、領民(土地を貸し出している農民ら)に私的な裁判をすることができる
→つまり、農民は立場の強い貴族の言いなりとなってしまうのです。
①免税特権は中世の頃は「不輸不入権」と呼ばれていました
※不輸不入権とは?
国王が派遣する徴税官を、自分の所領に寄せ付けない権利
大規模な土地を持つ貴族や教会は強大な権限を持っていて
国王とあれど、彼らの所領に土足で踏み込むことができなかったのです。
②一応、国王は貴族や聖職者からお金を集めることはできます
ただし免税特権があるため、税としてお金を集めることはできません
だから、貴族や聖職者からは「借金をする」ことでお金を集めるという対応をとりました
もちろん税とは違い、国王は借りたお金は返さなければいけません!
④第三身分(平民)
特権を持たない一般人。全国民の98%を占めています。
第三身分(平民)は大きく2つにわかれます。
都市の富裕な平民を「ブルジョワジー」・小作人などの貧農を「サンキュロット」と呼びました
特にひどい生活をおくっていたのがサンキュロットです
これまでの各身分の解説にもありましたが、
農民たちは
・国王から重税を取り立てられ
・領主である貴族からは封建地代(土地のレンタル料)を取り立てられ
・教会からは十分の一税をとりたてられる。
つまり3つの方向からお金をとられます。
しかもいちばんお金を持っている貴族や教会は国に税金をおさめなくてもよい
そんな不公平な社会に対し、サンキュロットたちは怒りを覚えるようになります。
この怒りが革命の原動力となっていきました。
フランス革命の発生
フランス革命の背景は説明しました。
ここからが本題です。
市民の怒りが爆発し、フランス革命がついに起こります。
革命が始まるまでの流れを次の順に説明していきます。
1770年代~80年代 テュルゴー・ネッケルの財政改革
1789年5月 三部会の開催
1789年6月 国民議会の発足と球戯場(テニスコート)の誓い
1789年7月 フランス革命 ついに勃発 バスティーユ牢獄襲撃事件
テュルゴー・ネッケルの財政改革
財政赤字から回復するため、国王ルイ16世は
1770年代に重農主義者 テュルゴーを
テュルゴーの失脚後は、スイス出身の銀行家 ネッケルを財務総監の地位につけました。
テュルゴーは王室の支出を軽減するための政策をいくつか行いましたが、
保守派からの反対を受けて失脚します。
後任のネッケルは財政赤字解消のためには致し方なしとして、こう言いました。
「国王陛下、特権身分(貴族・聖職者)から税を取りましょう。」
国王ルイ16世もこれを受け入れ、特権身分からの課税を実施する方向で動きました。
しかし税をとられたくない貴族・聖職者たちは課税に反発
ある貴族が国王ルイ16世にこう進言しました。
「このような重大な議題は、三部会で議論いたしましょう。」
優柔不断な国王ルイ16世はその貴族の意見を聞き入れ、
特権身分への課税を行ってもよいかどうか、三部会ではかることにしました
三部会の開催
フランスのヴェルサイユ宮殿で開かれる身分制議会
「部」とは身分のことで、
それぞれ第一身分(聖職者)・第二身分(貴族)・第三身分(平民)の
3つの「部(身分)」の代表議員が集まることから、「三部会」と呼ばれていた。
この三部会ですが、以下のポイントを押さえておいてください。
①17世紀の国王ルイ13世の治世以来、175年ぶりに開催された
②貴族・聖職者のゴリ押しで、採決の方法は「1身分につき1票」の多数決制とされた
三部会の結末
会議が始まります。
議題はもちろん
「特権身分(貴族・聖職者)から税をとる?」
各身分の代表者たちの意見はこうなりました。
・第一身分(聖職者)代表:反対!特権身分から税をとるな!
・第二身分(貴族)代表:反対!特権身分から税をとるな!
・第三身分(平民)代表:大賛成!平民からだけ税をとるのは不公平だ!
さて、議長が結果を言い渡します。
「特権身分への課税に反対2票・賛成1票」
「多数決の結果、特権身分には課税しないこととします」
議場がざわつきます
してやったり顔の貴族代表と聖職者代表
明らかに不公平な議決結果に不満を隠せない平民代表…
それもそのはず
平民は全人口の98%を占めています。
それに対して、貴族と聖職者は合わせて全人口の2%
人数で言うと明らかに平民の方が多いはずなのに、平民からは1票しか出せない…
平民の怒りは爆発します。
「こんな不公平な会議に参加してもらちが明かない。」
「言論(政治の力)で不平等を解消することはできない。ならば、力づくで戦うしかない」
そう考えた平民たちは革命に向けて動き出したのでした。
第三身分出身の聖職者 シェイエスという男がいました。
シェイエスはもともと第三身分なので、平民に対して理解がある人物です。
シェイエスは第三身分が不当に扱われている社会を嘆き、
パンフレット『第三身分とは何か』を発刊
第三身分の権力の向上を宣伝しました。
そこにはこう書いてあります。
「第三身分とは何か?それはすべてである。」
どういうことか簡単に説明します。
「全人口の98%を占める第三身分の人々ががんばって仕事をしているから
皆が飯を食える・服を着れる・ほしいものが不自由なく手に入る」
「フランス人の生活が成り立っているのは、すべて第三身分のおかげなのである」
市民たちはこの言葉に共感し、シェイエスの言葉に熱狂します。
そしてフランス革命は大いに盛り上がっていきました。
国民議会の発足と球戯場(テニスコート)の誓い
1789年6月 国民議会の発足が宣言されます。
中心となったのは、三部会の議決方法に不満を持った平民たちでした。
彼らはヴェルサイユ宮殿内の球戯場(テニスコート)に集まり、
フランスを「自由」で「平等」な国にすることを目標として決起しました。
そしてメンバーたちは
「いかなる弾圧を受けようと、
自由・平等を定めた『憲法』を制定するまで、我々はぜったいに解散しない」
と誓いあったのでした。
これを「球戯場(テニスコート)の誓い」と言います。
この誓いを交わしたあと、国民議会は別名「憲法制定議会」と呼ばれるようになりました
有名なメンバーを紹介します。
・自由主義貴族
読み書きや政治学などの教養がない平民が集まっても、政治はうまくいきません。
そこで国民議会は良識のある貴族の力を借りました。
①ラ=ファイエット
アメリカ独立戦争でフランス義勇軍を率いて参戦した人物
独立をめざす市民たちが熱狂する姿を見て、市民のエネルギーの強さを知った。
フランスを強い国にするには、市民のパワーを使うことが不可欠と考え、
国民議会による革命に賛同した。
②ミラボー
同じく国民議会の理念に賛同する貴族
王室との親交があり、国民議会と国王サイドのパイプ役をつとめる。
・平民
①ロベスピエール:のちに過激派組織 ジャコバン派のリーダーとなる
②ダントン:ロベスピエールと同じく、ジャコバン派の幹部となる人物
→プレゼンがうまく、革命に賛同する民衆を巻き込むのがお上手。
A.理由は様々ありますが、貴族の中にはこんな人々がいます。
①私は中小貴族です。
大貴族が要職を独占していて出世が叶いません。
なので革命に紛れて大貴族を倒したいと思っています。
②私は貴族です。祖国フランスを強い国にしようと思っています。
フランスを強い国にするためには、
全人口の98%を占める市民の協力が不可欠だと思います。
こうした意見もあって、貴族の一部が国民議会に参加し、
フランス革命に賛同していきました。
今回はここまでとします。
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