スペイン内戦 世界史教師がわかりやすく解説

管理人
てっちり

元 高校世界史教師

教室での授業では、限られた人数に対してしか歴史を伝えられないことに物足りなさを覚える。
そしてもっと多くの人に歴史の面白さを伝えるために
教師を辞めてネットで世界史関連のコンテンツを配信するようになった。

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こんな人におすすめ

ヨーロッパの近現代史

とくに第二次世界大戦前夜の

スペイン内戦について学んでいます

 

ですが、内戦の背景や経緯がわからず

参戦した勢力の意図もわかりません

 

わかりやすく解説してくれると助かります

とお悩みの学生・社会人の方

 

この記事からわかること

・スペイン内戦 背景

・参加した勢力とその意図

(ソ連・ドイツ・イタリア・ポルトガル)

・【質問】英仏の正規軍が参加しなかったのはなぜ?

・国際義勇軍の活躍

・スペイン内戦の結末

 

 

読者の皆さんへのメッセージ

こんにちは。

元々高校の教員をしていました。てっちりです。

 

このサイトでは、

世界史を学ぶうえでの

「わからない。」「なぜ?」に

お答えできるよう、情報を掲載しています。

 

特に近現代史になると、学ぶ概念も難しくなってくるので

生徒からの質問もわんさか飛んできました(笑)

 

そんな、学んで苦戦してきた教え子たちの苦悩と

ひとつひとつの質問に丁寧に答えてきた私の苦悩を無駄にしたくなかったので、

今回は記事としてしたためました!

 

スペイン内戦とは?(簡単に)

スペイン内戦は、

1931年のスペイン革命後に起こった

アサーニャ人民戦線内閣

フランコ将軍ひきいるファシズム勢力との政権争いです

 

争いは水面下で繰り広げられ、

1936年に大規模な武力闘争に発展しました(スペイン内戦

 

スペインを自らの勢力に引き込むため

周辺諸国はスペイン内戦に介入します

 

ソ連はアサーニャ人民戦線内閣を

ドイツ・イタリア・ポルトガルはフランコ将軍を支援しました

 

こうしてスペイン内戦は

外国勢力も入り混じる大混戦となっていきました

 

この内戦では、

フランコ将軍側についたドイツ軍の残虐行為が目立ったため、

内戦を一刻も早く終わらせるべく、

国際義勇軍に志願し、

アサーニャ人民戦線内閣を支援する者が多くいました

 

しかし義勇軍の努力もむなしく、

最終的にはフランコ将軍ひきいるファシズム派閥が勝利し、

フランコ政権が成立することとなりました

 

スペイン内戦 背景

1931年 スペイン革命 王政倒れる

1931年 スペイン革命が発生しました

スペイン=ブルボン朝の国王や

その側近による独裁政治への不満がつのり、

スペインの農民・労働者らは王の追放と

共和制の樹立を願いました

 

1931年、

今後の政体のありかたを問う国民投票が実施され、

王政の廃止と共和制の樹立を求める「共和派」が勝利

 

スペインでは共和制が宣言され、

国王アルフォンソ13世に退位を迫りました

 

国王は身の危険を感じて国外へ逃亡

そしてスペインは共和制国家となったのでした

 

左派 VS 右派 政権をめぐる争い

革命が成功したのもつかの間、

新たな争いの火種がうまれます

 

「誰が政権を握るのか?」

「限られた国家予算を誰に使うのか?」

 

政治における利害関係をめぐって、

2つの党派が争うこととなったのです

 

左派(労働者・農民からの支持)

「貧しい労働者や貧農のためにお金を使おう」

と考えていたのが、共産党や社会党などの左派でした

政策方針でいうとソ連に近いです

 

左派の主張した政策をまとめます

 

左派の政策方針(大まかに)

①土地改革

教会・産業資本家・地主の持つ土地

貧農や労働者に分配する

 

②公教育の充実

公立学校を全国に新設

教育をカトリック教会から切り離し、公教育を行う

 

③軍縮(将校数・兵員数の削減)

軍事費に当てていた予算を公共政策に充てるため、

軍備の縮小」と「軍人の俸給の削減」を行う

 

さて聞きます

「この政策では誰が得をしますか?」

 

農民や労働者など、

財産が少ない人たちですね。

 

土地をもらえるし、

安価で公教育を受けられるようになるし…

そういうことですね

では別の質問をします

 

「この政策では誰が損しますか?」

教会・地主・産業資本家・軍ですかね

 

教会・地主・産業資本家は財産を奪われるし

 

軍の人たちは、

軍縮によって仕事がなくなったり

給料が安くなったりしますね

そうですよね。

 

国家予算は限られてますから、

全員を喜ばせることはできません。

だから「国家予算の使い道をめぐる争い」が起こります

 

たしかに、現代の日本でも

 

防衛費にお金を使うのか?

コロナ関連の補償にお金を使うのか?

子育て支援にお金を使うのか?

高齢者の福祉にお金を使うのか?

 

って議論されてますもんね

そういうことです。

税金は国民みんなから集めたものですから、

この税金の使い道っていうのは

国民同士で揉めやすいんですよ。

 

左派政権の場合は、

農民や労働者などの貧困層を

喜ばせるためにお金を使う一方、

 

教会・地主・産業資本家・軍のためには、

お金を使わないどころか「お金を奪う」

という状態になっています

 

いわゆる「えこひいき」ですね。

これではもちろん反対派が現れても仕方がないでしょう。

確かに…

 

右派(教会・産業資本家・地主・軍部からの支持)

左派の方針に真っ向から対立したのが右派です

右派の代表格が「ファランヘ党」でした

政策としては、

ドイツのヒトラー政権や、

イタリアのムッソリーニ政権が掲げる

ファシズム」を標榜しています

 

左派の政策によって不利益をこうむってしまう

教会・産業資本家・地主・軍部などが、

右派の活躍に期待したのでした。

 

最終的に右派の代表格となっていくのが、

スペイン軍の秀才 フランコ将軍でした

 

フランコは左派が掲げる軍縮に反対しており、

あわよくば選挙で左派を打ち負かし、

選挙で無理ならば、

軍事クーデタによって左派を倒そうと考えていました。

 

1936年の総選挙 左派の勝利

1936年 スペインで総選挙が行われました

23歳以上の男女による国民投票が実施され、

貧しい労働者や農民から支持を得た左派が勝利しました

 

左派には共産党・社会党などがありましたが、

アサーニャという左派の政治家を中心に、

左派の各党が連立政権を樹立

アサーニャ人民戦線内閣が組織されました

 

アサーニャ人民戦線内閣は

閣僚人事を発表し、

右派の代表格であるフランコ将軍を僻地に左遷します

 

フランコ将軍はこれに不満を持ち、

クーデタによって

人民戦線内閣の打倒を図ったのでした

 

1936年 スペイン内戦 勃発

軍縮を掲げる左派の勝利に不満を持ち、

スペインでは軍部による大規模なクーデタが発生しました

 

僻地に左遷されていたフランコ将軍は、

なんとかして都心部へと戻り、

軍部の指揮をとりました

 

こうして

左派:アサーニャ人民戦線内閣

右派:フランコ将軍

2党派による争い スペイン内戦が始まりました

 

ソ連 アサーニャ人民戦線内閣を支援

ソ連は世界初の共産主義国家です

ソ連はコミンテルンを通じて

世界各地に共産主義の思想を広めていました

 

アサーニャ人民戦線内閣

ソ連と政治方針が近かったため、

コミンテルンの指導のもと、

ソ連の支援を受けていました

 

ソ連からすると、

スペインに親ソ政権があると有利です

 

当時のソ連の敵は、

ソ連の掲げる共産主義を否定していた

ドイツのヒトラー政権

イタリアのムッソリーニ政権でした

 

スペインをソ連側に引き込めば、

ソ連領とスペイン領から

ドイツ・イタリアを挟み込むことができます

陣取り合戦をうまくやっておくと、

今後のドイツ・イタリアとの争いを

有利に進めることができるのです

 

ドイツ・イタリア・ポルトガル フランコ将軍を支援

ドイツ・イタリア・ポルトガルでは、

ファシズム」を掲げる勢力が政権を握っていました

 

ドイツのヒトラー

イタリアのムッソリーニ

ポルトガルのサラザール

ソ連が掲げる共産主義を嫌っていたため、

ソ連とは不仲です

 

そんなソ連の息がかかった政権が

スペインに成立すると、

スペインの隣国ポルトガルは少々やりづらい

 

ドイツとイタリアからすると、

ソ連と親ソ政権によって、東西から挟まれてしまいます

「これは具合が悪い」ということで、

ドイツ・イタリア・ポルトガル

スペインのフランコ将軍を支援し、

親ソ派のアサーニャ人民戦線内閣を倒そうと考えました

 

ちなみにドイツのヒトラー政権には、

もう1つの意図がありました

「ドイツ軍の実力・兵器の威力を試したい」

という目的です

 

スペイン内戦を実験場として、

ドイツ軍の装備を試そうと考えていたのでした

 

※補足

ドイツは1935年に再軍備を宣言しており、

ヴェルサイユ条約で定められていた徴兵の禁止

潜水艦・航空機・戦車などの製造禁止のルールを破り、

軍備の増強に乗り出していました。

増強した兵力の実力を試すことが、

スペイン内戦への参加目的の一つでした。

 

ドイツ軍によるゲルニカ空爆

先ほどの章で、

「ドイツ軍は新兵器の実力を試すために、スペイン内戦に参戦した」

と述べました

 

実際にドイツ軍の兵器の実験場となったのが、

スペインの都市ゲルニカでした

 

ゲルニカではドイツ軍による無差別爆撃が行われ、

約6000発の爆弾が撃ち込まれました

 

そしてゲルニカは廃墟と化したのです

 

これに怒りを感じたのが、

スペインの画家ピカソです

ピカソは「ゲルニカ」という絵画を描き、

 

破壊されたゲルニカの街を描きました

この絵は現代でも反戦の象徴として存在し、

国連本部に飾られています

 

イギリス・フランス スペイン内戦を傍観

ドイツ軍がスペインで残虐行為をしている一方、

イギリス・フランスは中立の立場を貫き、

スペイン内戦に正規軍を送らずに傍観していました

 

理由は2つあります

①国内の反戦ムード

②ソ連とドイツを共倒れにさせたいから

です

それぞれ詳しく説明します

 

理由① 国内の反戦ムード

イギリス・フランスでは

第一次世界大戦での被害が甚大であったことから、

反戦ムードが高まっていました

 

スペイン内戦に介入し、

出兵してしまうと、

政治家たちは国民からの人気を失ってしまうでしょう。

 

政治家たちも選挙に負ければただの人です

 

国民の人気を失って、

次の選挙に負けるリスクをおかしてまで、

近隣の国の内戦に干渉することはありませんでした。

 

理由② ソ連とドイツを共倒れにさせたい

イギリス・フランスからすると、

ソ連とドイツの両方ともが敵です

 

ソ連には共産主義を掲げる

非情な独裁者スターリン

 

ドイツにはファシズムを掲げて台頭する

ナチスヒトラーがいます

 

そんなソ連とドイツが、

スペインを戦場として戦っている

 

このままソ連とドイツが全面戦争となれば…

ソ連もドイツという2つの敵が

勝手につぶし合って弱体化してくれる

 

そのように考えたのでした

すごく腹黒いですね。

ドイツの横暴を阻止せずに傍観したツケは

あとで回ってくることになるんですけどね。

 

国際義勇軍の参戦

長期化するスペイン内戦

近隣のイギリス・フランス政府の煮え切らない態度

ドイツ軍の空爆で破壊されていく街

 

これらを見かねて、

当時の先進国の一般市民の間で、

国際義勇軍キャンペーン」が行われました

 

「アサーニャ人民戦線内閣を助けよう」

「フランコ将軍・ドイツ・イタリア・ポルトガルを許さない」

という言葉のもとに、

世界各地から多くの義勇兵が集まりました

 

有名な人物をまとめます

国際義勇軍 有名な人物

フランスの作家 マルロー

アメリカの作家 ヘミングウェー

イギリスの作家 オーウェル

 

などですね。

 

3名とも作家で、

マルローは『希望』に

ヘミングウェーは『誰がために鐘は鳴る』に

オーウェルは『カタロニア賛歌』に

スペイン内戦での経験を記しました

 

 

ちなみに日本人も参加しています

その名も「ジャック白井

 

スペイン内戦では

給仕班と戦闘班を掛け持ちしていたようで、

給仕班のキャンプが襲われた際に、

敵兵士の弾丸が当たって死亡したようです

 

このように、

ファシズムの打倒と平和を祈り、

多くの国から志願者が集まったのでした

 

フランコの勝利

国際義勇兵の尽力むなしく、

ドイツ・イタリア・ポルトガルからの

強力なバックアップを得て

フランコ将軍らが勝利しました

 

むなしくも人民戦線内閣は崩れ去りました

こうしてスペインでは

フランコによるファシズム独裁政権が成立しました

 

内戦終結後のスペイン

フランコ政権が成立したスペインですが、

第二次世界大戦では中立を貫いています

 

フランコ政権はドイツから支援を受けていたので、

ドイツのヒトラーから出撃要請がありました

 

しかしフランコ将軍はこれを無視

「内戦からの復興が優先だから、戦争には参加しません」

といって、

第二次世界大戦では中立の立場をとりました

 

今回は以上です

 

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