イラン革命とは? イランとアメリカ 対立の背景 世界史教師がわかりやすく解説

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てっちり

元 高校世界史教師

教室での授業では、限られた人数に対してしか歴史を伝えられないことに物足りなさを覚える。
そしてもっと多くの人に歴史の面白さを伝えるために
教師を辞めてネットで世界史関連のコンテンツを配信するようになった。

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こんな人におすすめ

中東の歴史について学んでいます

イランとアメリカが不仲になった原因

イラン革命について詳しく知りたいです

 

ただ少し難しいのでわかりやすく解説してください

とお悩みの学生・社会人の方

 

この記事からわかること

イラン革命とは?(簡潔に)

イラン革命の背景

イラン革命の影響

 

読者の皆さんへのメッセージ

こんにちは。

元々高校の教員をしていました。てっちりです。

 

このサイトでは、

世界史を学ぶうえでの

「わからない。」「なぜ?」に

お答えできるよう、情報を掲載しています。

 

特に近現代史になると、学ぶ概念も難しくなってくるので

生徒からの質問もわんさか飛んできました(笑)

 

そんな、学んで苦戦してきた教え子たちの苦悩と

ひとつひとつの質問に丁寧に答えてきた私の苦悩を無駄にしたくなかったので、

今回は記事としてしたためました!

 

イラン革命とは?(簡潔に)

イラン革命とは、

1979年にイランで起こった革命です

 

革命の指導者は

イスラーム教シーア派指導者ホメイニ

 

親政米派パフレヴィー王朝の政策に

不満を持つ市民を巻き込み、武装蜂起しました

 

ホメイニ率いる革命軍は

国王パフレヴィー2世を追い込み

親米派のパフレヴィー王朝を打倒しました

 

ホメイニらはアメリカの影響力を排除するため、

アメリカ大使館を占領

アメリカはこれに激怒し、

イランとアメリカの国交は途絶えました

 

革命後、イラン=イスラーム共和国が成立し、

ホメイニは伝統的なイスラームへの回帰政策を行ったため

イラン=イスラーム革命とも言います

 

イラン革命の背景

イラン革命の背景は、

「親米派のパフレヴィー王朝への不満」と述べました

 

この章では、

「市民がパフレヴィー朝やアメリカに不満を買ったのはなぜか?」

という観点から解説していきます

 

結論からいうと、理由は3つです

パフレヴィー朝が市民から不満を買った理由

①「石油メジャー」の参入

②パフレヴィー朝の白色革命の失策

③石油危機による貧富の差の拡大

 

これらを詳しく解説していきます

 

石油メジャー(国際石油資本)の参入と貧富の差の拡大

イランには石油が眠っていたため、

イランは石油輸出大国となりました

 

その利権に目をつけたのが

アメリカやイギリスなどの西側諸国でした

 

アメリカやイギリスには、

石油メジャーと呼ばれる油田開発の大手企業群があり

世界の石油資源業界を牛耳っていました

 

【補足】石油メジャー(国際石油資本)とは?

最新の石油掘削技術を持ち、

世界の石油生産をほぼ独占していた大手企業群のこと

 

米:スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー(のちのエッソ)

英&蘭:ロイヤル・ダッチ・シェル

など、合計7社を指す

 

イランの石油も石油メジャーのターゲットとなり、

石油メジャーがイランの石油産業に介入しました

 

石油メジャーは

石油掘削技術を用いて

イランの油田を次々に開発

莫大な利益を上げていきました

 

国王や油田地帯の土地を持つ大地主たちは、

石油を売ることによって得た利益のおこぼれをもらい、

生活が豊かになりました

 

油田開発の結果として、

石油メジャーと

おこぼれをもらったパフレヴィー王家・大地主らが

石油輸出による利益を独占することとなったのです

 

これにより、

イランの社会には貧富の差が生まれます

 

王家や地主など、

ごく一部の人間が石油の利益を得て

貧しい者は置き去りにされてしまう状況が生まれました

 

イラン人が信仰しているイスラームには

神のもとの平等」という観念があります

しかし石油開発によって、

平等な社会は崩れ去っていったのです。

 

イランの市民たちは思い始めます

「米英の石油メジャーのせいで、平等な社会が崩れた」

「米英に加担するパフレヴィー王家も敵だ」

 

こうしてアメリカなどの西側諸国

アメリカに加担するパフレヴィー王家への不満が高ぶっていきました

 

「白色革命」の失策

国王パフレヴィー2世

貧富の差によって不満を持つ民衆をなだめるため、

国内改革を行いました

これを白色革命といいます

 

白色革命

①農地改革

→地主の土地を政府が買い上げ、貧農に分け与える

 

②教育改革

→初等教育の充実化と、海外留学の奨励政策を行った

 

③平等化

→女性選挙権を認め、男女平等を図った

 

一見するといい政策に見えますが…

残念ながらすべて裏目に出ます

 

まず農地改革ですが、

貧民に土地を与えて農業に従事させたものの、

 

貧民たちは耕作技術や資金が乏しく、

土地を有効活用できませんでした

 

「土地はあるけど作物が実らない」

という状況が生まれ、

農業生産は落ち込みました

 

収入を得られない農民たちは、

日雇いの仕事を求めて都市に出稼ぎに…

都市には貧民が溢れかえり、

スラム街が形成されるようになりました

 

貧困にあえいだ人々は、

国王の政治に不満を持ち、

国王の反対勢力を増やしてしまうことになりました

 

 

次に教育改革です

イランの識字率は向上しましたが、

海外への留学奨励政策は失敗しました

 

海外留学にいった学生たちが、

イランの後進性と、

民主政治のすばらしさを痛感して帰国したのです

 

そして外の世界を知った学生たちは

隣の芝が青く見えます

 

「外国はこんなにも進んでいるのに…」

「国王が独裁している今のイランはダメだ」

と気づき始めるのです

 

 

最後に平等化政策です

女性に参政権を与えたのですが、

イスラームの知識人層が反発しました

「伝統的なイスラームの価値観に反する」とね

 

こうしてパフレヴィー2世の改革は空回りし、

パフレヴィー2世は敵を増やしてしまいます。

 

石油危機(オイルショック)による貧富の差の拡大

1973年 第一次石油危機が発生しました

 

1973年 第4次中東戦争が発生

イスラエルに加担する西側諸国を困らせるため、

アラブの産油国が石油の輸出を制限しました

 

世界では深刻な石油不足が発生し、

石油価格は高騰しました

 

石油価格が上がるということは、

モノの輸送費が上がるということ

 

輸送費の高騰によって、

イラン国内では物価が高騰していきました

 

「日用品の値段が高くて買えない…」

イラン市民は物価高騰にあえぎます

 

一方で石油価格の高騰によって得する者もいます

石油を売る側の人たちです

 

売る側からすると、

石油が高く売れるので、

利益が増えるのです。

 

イラン国内でいうと…

米英の経営する石油メジャー

石油メジャーに利権を供与して、

おこぼれをもらっているイラン王家や大地主です

 

 

こうして、

物価高騰にあえぐ市民たち

原油価格高騰で儲かる王家や大地主

 

という対立構図が生まれ、

イラン国内では貧富の差が激しくなっていきました

 

当然、市民からは王家への不満がつのります

これがイラン革命への原動力となっていったのです

 

イラン革命の発生

ホメイニの蜂起

イランのシーア派指導者 ホメイニを筆頭に、

市民たちが蜂起します

 

「万民平等なイスラーム社会を破壊するな」

「貧富の差をもたらした米英は敵だ」

「米英に加担するパフレヴィー王家も敵だ」

 

こうして市民たちは

王家の打倒と米英の排除を目的として

革命を起こしたのです

 

アメリカ大使館の襲撃

イランの市民はアメリカを敵視し、

イラン国内に置かれていたアメリカ大使館を襲撃します

 

そしてアメリカ大使館員を444日間拘束し、

アメリカ政府を困らせました

 

激怒したアメリカは、イランと断交

それ以来ずっとアメリカとイランの関係は途絶えたままなのです

 

イラン=イスラーム共和国の成立

イラン革命は成功し、

国王パフレヴィー2世は亡命

ホメイニを中心とする革命軍は

イラン=イスラーム共和国」の建国を宣言しました

 

米英の石油メジャーは

イラン国内の混乱を危険と判断し、

イランから社員を引き上げました

 

こうしてイラン国内の油田は

イランの革命政府の手にわたりました

 

ホメイニは石油国有化を宣言し、

イランの石油利権はイラン人のためのものとなったのです

 

イラン革命はここまでです!

 

 

 

 

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